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第一幕
第一場
ぶ厚い暗雲の垂れ込めた草原。
吹き付ける激しい風に煽られる小さなゲル。天幕の裾が激しく
はためく。
ひとり、ゲルの前にあぐらを掻いて座り込んでいる男・オウル
フ・ユチ。
遠く微かな雷鳴。狼の遠吠えが響く。
再び響いた狼の遠吠えは長く尾を引き、轟く雷鳴に掻き消される。
第二場
男が立ち上がり、下手方向に歩いて半円を描きながらゲルの
入り口に辿り着く。ゲルの天幕が上がる。
オウルフ どうなんだ、ババさま?
巫女・ヤヨスラが祈り火の前に座り込み、玉石をしきりに動かし
ている。
オウルチがヤヨスラの占手を気にしながら、傍らにあぐらを掻く。
ゆったりと手を動かし続けるヤヨスラ。少しずつ玉石の数が減って
ゆく。
ヤヨスラ まあお待ちよ……どれ、ようやっと見えてきたか……
オウルフ もう丸二日は経ってるんだぞ。いくらなんでも遅すぎ
るんじゃないのか?
ヤヨスラ ふたり目とはいえ、女にとっては命を賭けた大仕事だ。
男が魚を釣るようにそんなに簡単にボコボコ産まれるわけがない
だろう……狼どもがやけに騒ぐね。そろそろ産み時に近づいたか、
それとも母親の命を獲りに来たか。
オウルフ 母親!? 占手は何を示したんだ? メノワは、
メノワはどうなる!?
混乱し、立ち上がるオウルフ。
同時に、仕切り幕の向こうから女の苦しむ呻き声が聴こえてくる。
やがて声は収まり、再び静けさが訪れる。
ヤヨスラ ユチ。よくお聞きな。わたしたちは狼の庇護と呪い
からは逃れられない。あんたはメノワのために狼を殺した。
ひとつしかない自分の命を守るためだ。例え神獣とはいえ仕方
あるまいよ。だがその狼は、絶対に手を出してはならない腹に
仔を身籠もった雌だった。狼どもはもうじきここにやってきて、
おまえのメノワを喰らうだろう。命は命で繋ぎ、身勝手に断ち
切ることは許されない。これが占手の示した道だ。
オウルフ そんな……! ポポリ! ポポリ!
隣室から疲れた様子の助産の女・ポポリが現れる。
オロオロした様子でゲルの中を往き来する。
ポポリ 随分と難儀されておいでです。ちっとも子が降りて
来てくれません。
ヤヨスラ 自分が母体の外に出れば、まもなく母との別れが
やってくる。それを感じているのだよ。身動きひとつせずに
いつまでも眠っていれば、悲しい目にも遭わずに済む。
だが、産まれる気のない子を長く腹に留めておけば、これも
また母体には障るだろうよ。
ポポリ 母さん、なんとかならないの!?
ヤヨスラ 一度心を決めた狼が聴く耳を持つものか。
産まれるまでは手出しをしまい。産まれた子から母を奪うため
だけに子を生かし、自分達の仔を殺めた母を喰らうのさ。
オウルフ 殺したのは俺なんだぞ! なぜ俺を狙わない!?
激昂するオウルフをヤヨスラが静かに見つめる。
懐から羊皮紙を取り出し床に転がる黒い玉石を包んで握り締める。
開かれた手のひらの上で粉々に崩れた玉石は地面に落ち、
手に残る紙には、黒々とした狼の横顔が残されている。
舞台後方には大きな布に描かれた狼の横顔のシルエットが現れる。
ヤヨスラ “狼”の名を持つおまえさんは、それだけでこの草原と
狼達の庇護を受けておる。たとえ丸腰で草原に立ち、手足を全て
食いちぎられようと、それでもユチの名を持つおまえさんの命は
奪えまい——恨みは、その者の最も大切な者に向かう。それが業
というものだ。
オウルフ 業を受けるのは俺だけじゃない! エオはまだ、たった
のみっつだ。今も母親を恋しがってメノワの衣にくるまったまま
泣きどおしだ。俺はエオに、母さんと産まれて来る子を連れて帰る
と約束した。ババさま、俺にはもうどうする事も出来ないのか?
ヤヨスラ ここでただメノワと子の死を待つか、子を残して逝か
ねばならないメノワの苦しみを共に負って生きるか、選べる道は
どちらかしかない。狼達は優しいよ。選ぶ自由をおまえさんに
残してくれた。さあ、どうするね?
オウルフ ……
拳を握り、項垂れるオウルフ。
背後でそっと涙を拭うポポリがハッとしたように、隣室に
飛び込んでゆく。暫くの後、再びポポリが姿を現す。
ポポリ オウルフ、メノワがあなたを呼んでいます。どうか傍に
……声を掛けてあげて下さい。
オウルフ メノワ……! ババさま。狼が与えた選ぶ自由を、
俺は選ぶぞ。
ヤヨスラ ああ、それでいい。メノワもきっと喜ぶだろうよ。
第一場
ぶ厚い暗雲の垂れ込めた草原。
吹き付ける激しい風に煽られる小さなゲル。天幕の裾が激しく
はためく。
ひとり、ゲルの前にあぐらを掻いて座り込んでいる男・オウル
フ・ユチ。
遠く微かな雷鳴。狼の遠吠えが響く。
再び響いた狼の遠吠えは長く尾を引き、轟く雷鳴に掻き消される。
第二場
男が立ち上がり、下手方向に歩いて半円を描きながらゲルの
入り口に辿り着く。ゲルの天幕が上がる。
オウルフ どうなんだ、ババさま?
巫女・ヤヨスラが祈り火の前に座り込み、玉石をしきりに動かし
ている。
オウルチがヤヨスラの占手を気にしながら、傍らにあぐらを掻く。
ゆったりと手を動かし続けるヤヨスラ。少しずつ玉石の数が減って
ゆく。
ヤヨスラ まあお待ちよ……どれ、ようやっと見えてきたか……
オウルフ もう丸二日は経ってるんだぞ。いくらなんでも遅すぎ
るんじゃないのか?
ヤヨスラ ふたり目とはいえ、女にとっては命を賭けた大仕事だ。
男が魚を釣るようにそんなに簡単にボコボコ産まれるわけがない
だろう……狼どもがやけに騒ぐね。そろそろ産み時に近づいたか、
それとも母親の命を獲りに来たか。
オウルフ 母親!? 占手は何を示したんだ? メノワは、
メノワはどうなる!?
混乱し、立ち上がるオウルフ。
同時に、仕切り幕の向こうから女の苦しむ呻き声が聴こえてくる。
やがて声は収まり、再び静けさが訪れる。
ヤヨスラ ユチ。よくお聞きな。わたしたちは狼の庇護と呪い
からは逃れられない。あんたはメノワのために狼を殺した。
ひとつしかない自分の命を守るためだ。例え神獣とはいえ仕方
あるまいよ。だがその狼は、絶対に手を出してはならない腹に
仔を身籠もった雌だった。狼どもはもうじきここにやってきて、
おまえのメノワを喰らうだろう。命は命で繋ぎ、身勝手に断ち
切ることは許されない。これが占手の示した道だ。
オウルフ そんな……! ポポリ! ポポリ!
隣室から疲れた様子の助産の女・ポポリが現れる。
オロオロした様子でゲルの中を往き来する。
ポポリ 随分と難儀されておいでです。ちっとも子が降りて
来てくれません。
ヤヨスラ 自分が母体の外に出れば、まもなく母との別れが
やってくる。それを感じているのだよ。身動きひとつせずに
いつまでも眠っていれば、悲しい目にも遭わずに済む。
だが、産まれる気のない子を長く腹に留めておけば、これも
また母体には障るだろうよ。
ポポリ 母さん、なんとかならないの!?
ヤヨスラ 一度心を決めた狼が聴く耳を持つものか。
産まれるまでは手出しをしまい。産まれた子から母を奪うため
だけに子を生かし、自分達の仔を殺めた母を喰らうのさ。
オウルフ 殺したのは俺なんだぞ! なぜ俺を狙わない!?
激昂するオウルフをヤヨスラが静かに見つめる。
懐から羊皮紙を取り出し床に転がる黒い玉石を包んで握り締める。
開かれた手のひらの上で粉々に崩れた玉石は地面に落ち、
手に残る紙には、黒々とした狼の横顔が残されている。
舞台後方には大きな布に描かれた狼の横顔のシルエットが現れる。
ヤヨスラ “狼”の名を持つおまえさんは、それだけでこの草原と
狼達の庇護を受けておる。たとえ丸腰で草原に立ち、手足を全て
食いちぎられようと、それでもユチの名を持つおまえさんの命は
奪えまい——恨みは、その者の最も大切な者に向かう。それが業
というものだ。
オウルフ 業を受けるのは俺だけじゃない! エオはまだ、たった
のみっつだ。今も母親を恋しがってメノワの衣にくるまったまま
泣きどおしだ。俺はエオに、母さんと産まれて来る子を連れて帰る
と約束した。ババさま、俺にはもうどうする事も出来ないのか?
ヤヨスラ ここでただメノワと子の死を待つか、子を残して逝か
ねばならないメノワの苦しみを共に負って生きるか、選べる道は
どちらかしかない。狼達は優しいよ。選ぶ自由をおまえさんに
残してくれた。さあ、どうするね?
オウルフ ……
拳を握り、項垂れるオウルフ。
背後でそっと涙を拭うポポリがハッとしたように、隣室に
飛び込んでゆく。暫くの後、再びポポリが姿を現す。
ポポリ オウルフ、メノワがあなたを呼んでいます。どうか傍に
……声を掛けてあげて下さい。
オウルフ メノワ……! ババさま。狼が与えた選ぶ自由を、
俺は選ぶぞ。
ヤヨスラ ああ、それでいい。メノワもきっと喜ぶだろうよ。
更新日:2009-04-11 15:23:46