• 9 / 29 ページ
「……あれ」
 呟きに、ロアーも目を向けた。
 庁舎の門が開いていた。門番が戸惑ったような顔で、中から出てくる人影に会釈している。
「嬢ちゃんか?」
「いや……あれは」
 明るい日差しの中に出てきて、眩しげに目を細めているのは、黒衣の人物だった。しかし、エリスではない。
 法衣はくるぶしまでの長いローブで、胸にはエリスと同じ十字架を下げている。黒い、真っ直ぐな髪は首元ですっぱりと一直線に切り揃えてあった。年齢でいえばエリスと同じぐらい、十代半ばの少年だったのだ。
「誰だ?」
 小さく呟くが、ロアーは首を傾げた。
「見覚えがないな……。カストールの客か?」
 その少年は、興味深げに周囲を見回すと、まっすぐに彼らのいるカフェに足を進めてきた。
 扉を開き、迷わず一つのテーブルに向かう。
「貴方が、ヴァレスですね?」
「……ああ」
 用心深く答えるのに、少年は穏やかに笑みを浮かべた。
「初めまして。僕は、クリスといいます。エリスの仲間なのですが」
「エリスの?」
「嬢ちゃん、連れがいたのか」
 驚いたように、ちらりとヴァレスの様子を伺いながらロアーが言う。それに片手を振って、ヴァレスは問い返した。
「庁舎から出てきたよな。エリスに会ってきたのか?」
「ええ、まあ。あの、ここだけのお話なのですけど」
 声を潜めると、テーブルの上に身を屈めた。さらり、と毛先が揺れて表情を半ば隠す。
「エリスを、逃がしてきました」
 告げられた言葉に、二人が息を飲む。警告するように、少年は人差し指を唇に当てた。
「……どうやってだ? 庁舎には、それなりに人がいる。警備の人間だって少なくない。この街の人間でもないお前さんが、どうして彼女を逃がせるんだ?」
 不審げに、ロアーが尋ねる。クリスが、困ったように眉を寄せた。
「それは、一応秘密ということで。それで、僕がここに来たのは、エリスに頼まれたからなんです」
「頼まれた?」
 真面目な顔で、黒髪の少年は頷く。
「エリスは町長と和解して堂々と出て行った訳ではありません。逃げたことが知られれば、必ず捜索隊が出るでしょう。なら、彼女の一番傍にいた人間である貴方も追求を受けることになる。僕は、貴方を連れ出して安全なところまで逃がすようにと頼まれたんです」
 腑に落ちなくて、眉を寄せる。
「俺は関係ないんじゃないか?」
「貴方がそう思うかじゃなくて、町長がどう思うかですよ」
 間髪を容れずに返される。腕を組んで、青年は考えこんだ。それに、若い聖職者はたたみ掛ける。
「悠長に悩んでいる場合じゃありません。今、この時にもエリスの逃亡が知られているのかもしれないんです」
「いや、しかしなぁ……」
 気がかりが一つ消えると、彼は即座に現実を直視していた。
 前の街からここへ来るのに、それなりに金もかかっている。街を出るにしても、多少なりと稼いでからにしたいのが本音だ。
「……判りました」
 その雰囲気に似合わず低い声で呟くと、クリスは身体を起こした。劇的に威圧的な表情を作り、真っ直ぐに同席している男を見下ろす。
「ロアーさん。教会の命令により、ここにいる一人の男性を徴用します。宜しいですね?」
「………………えええええええええっ!?」
 ヴァレスが絶叫する。ロアーはぽかんと少年を見上げていた。
 基本的に、教会が本気になれば、一国の王ですらその要請を退けられない。
 彼らは、全ての人々の魂の行方を握っているのだから。
 勿論、互いの地位にも拠るところは大きい。そもそも魂の行方など一顧だにしない人間もいるにはいるが、しかしそれはどちらかと言えば少数派である。
 ロアーが声を殺して笑い始めた。
「ちょっと、何とか言ってやってくれよ!」
 焦って、ヴァレスは涙さえ混じった声で訴える。
「ああ、いいぜ。持っていきな」
「えええええ!」
 しかしあっさりと売り渡されて、更に悲鳴を上げた。
「追っ手のことも気にするな。多分、警備のやつらだけじゃなくて街の人間も使いたがるだろうが、俺が手を回して人数揃えるのを遅らせてやるよ。それでもそのうち出発するだろうが、うまくいけば先に近くの街の教会に逃げこめるだろう。カストールの権威はそこまでは通じない」
「ありがとうございます」
 軽く頭を下げるクリスを、呆然と眺める。
「では急ぎましょう、ヴァレス。宿に行って、エリスの荷物を取ってきます。そうしたらすぐに出発しますから」
 言い置いて、踵を返す。ようやく我に返った青年が、慌てて後を追った。

更新日:2009-03-14 11:19:47

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook