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2.曙光に潜む聖者
そこは、暗い小部屋だった。
薄黄色く変色した壁紙は、天井近くで何箇所も破れ、細長く垂れ下がっている。家具といえば足の長さが合っていないために座るとがたがた揺れる椅子と、板を渡してその上にシーツをひいただけのベッドだ。
尤も、ここに来てからまだ数時間しか経っていないために、ベッドの寝心地は試していない。
短い金髪の少女は、椅子に腰を下ろしてぼんやりと中空を眺めていた。
……いや。
「うるさいわね。細かいこと、ぐちぐち言わないでくれる?」
ほんの小声で、何かを呟いていた。
部屋の中に、他の人影は、ない。
「判ってるわよ。ちょっと、頭に血が上っちゃっただけじゃない。……しつこいわね」
エリスは小さく溜め息をついた。
「それしかないんでしょ。いいわよ」
ヴァレスは、大通りに面したカフェの窓際のテーブルに陣取っていた。
薄汚れた窓ガラスからは、庁舎の門がよく見える。
今朝方勢いよく町長を殴り飛ばした修道女は、その後、抵抗するでもなく保安官に引き立てられていった。
そのまま連れて行かれたのは、あの庁舎である。
そしてその直後にここに腰を据えてからずっと、ヴァレスは動かなかった。
太陽はもう頂点を過ぎている。
……今更、何ができるわけでもない。
苦々しくそう考える。
彼女を救けたければ、そもそも捕まる前に逃がしてやればよかっただけだ。
今から庁舎に乗りこんで解放してやってもいい。
そうしないということは、昨日行き会っただけの関係だということを差し引いても、自らの保身が念頭にあったということは否めない。
それでも、彼女がどうなるのかということを知らずに、のうのうと生活していくのも後味が悪い。
そういった心境で、結局彼はここから進むことも退くこともできずにいた。
とりあえずこの街の小さな教会には連絡しているが、ずっとここで暮らしていく神父に、面と向かって権力者に抗えというのは無理な話だろう。少しでも抗議か説得をして貰えればいい、というぐらいに期待しておく。
西部の教会に連絡するには、時間がかかりすぎるのだし。
ふいに、テーブルの横に誰かが立つ。
見上げると、ロアーが苦い顔で隣の椅子を引いていた。どっかりとそこに座りこむ。
「ずっと、ここにいるつもりか?」
いきなりずばりと核心を衝かれて、動揺を隠すために小さく肩を竦める。それを睨むように、男は続けた。
「カストールは小物だ。普段から、深く考えることもなく行動に出るのは珍しくない。今頃、自分のしたことに頭を抱えているだろうよ。こんな小さな街一つで、教会のしかも聖騎士団を敵に回せる訳がないからな」
それは確かだ。しかし。
「だから、すぐにエリスが解放されると? 西部ならともかく、ここは東部だ。組織としての教会は小さすぎる。もしも町長が解放したと言い張ったとしても、あんな女の子一人、どこへ行ったかなんて探し出すことなんてできない」
ヴァレスの反論に、ロアーは僅かにむっとした顔になった。
「おれを甘く見るな。おれの目の届かない場所で、ヤツに勝手な真似はさせない。そんなことをしたらどんなことになるか、ヤツだってよく判っている」
その強い言葉に、僅かに怯む。
小さく息をついて、ロアーはやや肩の力を抜いた。
「おれたちだって、あの嬢ちゃんが気にいってるんだよ。少しは信用してくれ。な?」
少しばかりばつの悪さを感じ、ヴァレスは視線を逸らせた。ちらりと視界に通りが入る。
薄黄色く変色した壁紙は、天井近くで何箇所も破れ、細長く垂れ下がっている。家具といえば足の長さが合っていないために座るとがたがた揺れる椅子と、板を渡してその上にシーツをひいただけのベッドだ。
尤も、ここに来てからまだ数時間しか経っていないために、ベッドの寝心地は試していない。
短い金髪の少女は、椅子に腰を下ろしてぼんやりと中空を眺めていた。
……いや。
「うるさいわね。細かいこと、ぐちぐち言わないでくれる?」
ほんの小声で、何かを呟いていた。
部屋の中に、他の人影は、ない。
「判ってるわよ。ちょっと、頭に血が上っちゃっただけじゃない。……しつこいわね」
エリスは小さく溜め息をついた。
「それしかないんでしょ。いいわよ」
ヴァレスは、大通りに面したカフェの窓際のテーブルに陣取っていた。
薄汚れた窓ガラスからは、庁舎の門がよく見える。
今朝方勢いよく町長を殴り飛ばした修道女は、その後、抵抗するでもなく保安官に引き立てられていった。
そのまま連れて行かれたのは、あの庁舎である。
そしてその直後にここに腰を据えてからずっと、ヴァレスは動かなかった。
太陽はもう頂点を過ぎている。
……今更、何ができるわけでもない。
苦々しくそう考える。
彼女を救けたければ、そもそも捕まる前に逃がしてやればよかっただけだ。
今から庁舎に乗りこんで解放してやってもいい。
そうしないということは、昨日行き会っただけの関係だということを差し引いても、自らの保身が念頭にあったということは否めない。
それでも、彼女がどうなるのかということを知らずに、のうのうと生活していくのも後味が悪い。
そういった心境で、結局彼はここから進むことも退くこともできずにいた。
とりあえずこの街の小さな教会には連絡しているが、ずっとここで暮らしていく神父に、面と向かって権力者に抗えというのは無理な話だろう。少しでも抗議か説得をして貰えればいい、というぐらいに期待しておく。
西部の教会に連絡するには、時間がかかりすぎるのだし。
ふいに、テーブルの横に誰かが立つ。
見上げると、ロアーが苦い顔で隣の椅子を引いていた。どっかりとそこに座りこむ。
「ずっと、ここにいるつもりか?」
いきなりずばりと核心を衝かれて、動揺を隠すために小さく肩を竦める。それを睨むように、男は続けた。
「カストールは小物だ。普段から、深く考えることもなく行動に出るのは珍しくない。今頃、自分のしたことに頭を抱えているだろうよ。こんな小さな街一つで、教会のしかも聖騎士団を敵に回せる訳がないからな」
それは確かだ。しかし。
「だから、すぐにエリスが解放されると? 西部ならともかく、ここは東部だ。組織としての教会は小さすぎる。もしも町長が解放したと言い張ったとしても、あんな女の子一人、どこへ行ったかなんて探し出すことなんてできない」
ヴァレスの反論に、ロアーは僅かにむっとした顔になった。
「おれを甘く見るな。おれの目の届かない場所で、ヤツに勝手な真似はさせない。そんなことをしたらどんなことになるか、ヤツだってよく判っている」
その強い言葉に、僅かに怯む。
小さく息をついて、ロアーはやや肩の力を抜いた。
「おれたちだって、あの嬢ちゃんが気にいってるんだよ。少しは信用してくれ。な?」
少しばかりばつの悪さを感じ、ヴァレスは視線を逸らせた。ちらりと視界に通りが入る。
更新日:2009-03-14 11:19:23