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Ⅴ オプション

 私はリザード伯爵セシル家の家宰スイーツマン・ウルフレザー。パリ発、ベルリン経由モスクワ行きの列車に乗り、さらにシベリア鉄道、満州鉄道を乗り継いで、韓半島南端の街釜山に達する。釜山から連絡船で北九州へ渡り、また鉄道を使って最終目的地である東京を目指していた。
  途中、私には三人の連れができた。一人はドイツ人である。一人は退役将校でミュンヘン大学教授となっている人物。残る二人はオーストリアの技師だという。大学教授は、カール・ハウスホファーといい、そして残る技師二人は、オットー・スコルツェニー、そしてミューラーと名乗った。技師二人はまだ二十歳そこそこの若さにみえた。
 食堂車で昼食をとっていると、老教授と二人の若者が、
「こんにちは家宰、相席していいですか?」
 と訊いたので了承した。日本の食堂車の洋食というのは、まずい、とはいわないが、オリエント急行のような豪華さはない。ヒレカツにカリーをかけたものと、ビールを私たちは注文した。
 ----エビス・ビール。
 カリーにビールというとりあわせ、フランス人ならなんというのだろうか。まあ、ドイツもイギリスも美食には縁遠いという点ではお仲間のようだ。
「間もなく東京ですね。私は当家の〈姫様〉のお宿やお車の手配をしにここまで来たのですが、みなさんはどちらへ?」
 教授は微笑を浮かべた。
「私は若い頃、ドイツ大使館の駐在武官でした。日本の陸軍省に友人が多いのですよ。彼らから講演を頼まれましてね」
「ほう、どのような講演ですか?」
「ああ、〈地政学〉というものです」
 スコルツェニー青年は、そこで口を挟んだ。
「ハウスホフハー教授の〈地政学〉は地理学界に旋風をおこしています。『生存圏の理論』はドイツはもとより、世界中に影響を与えていて、日本では熱狂的な信奉者が数多くいます」
 スコルツェニー青年は、熱をおびた口調で教授のことを話した。友人のミューラーはにこやかにうなづくのみで、あまり出しゃばらない。
 『生存圏の理論』とは、----国家は資源など、体制を維持するための生存圏というものを有しなくてはならない。これを有しないドイツ民族は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない----と主張する。危うい理論だとは思ったが、人にはそれぞれ歩んできた人生というものがあり、そこで培ったものなのだから、例え誤っていると感じても安易に否定できるものではない。もちろんアンチテーゼ(異なる意見)などしようものか。
 車窓の田園風景が、木造の建物の多い市街地へと変わり、それが煉瓦となって東京駅に着いた。私は三人と分かれて、駅でタクシーを手配し、帝国ホテルへと向かった。

更新日:2009-12-19 16:15:03

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