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Ⅲ ミュシャの回廊
豪華巨大飛行船〝シルフィー〟のメインデッキは長方形で二層構造になっており、上部・下部に隔てられた二層のうち、上部デッキ中央部にあるのが乗客キャビンであった。乗客キャビンには、客室が二十五部屋あり、全室がシングルになっていた。佐藤と中居が、ハンサムなスチュワートに案内された部屋は十号室と十一号室だった。荷物をそれぞれの部屋に運び終わるとスチュワートは、中居が使う十一号室に佐藤も呼んで部屋の説明をした。
「ソファーは折り畳み式になっておりまして、夕食の間に乗務員がベッドに組み直させて頂きます。またルームサービスをご所望の場合は呼び鈴を鳴らしてください」
スチュワートはさらに細々とした案内をしてくれた。洗面台の蛇口には温水・冷水の両方があること、部屋にはバス・トイレユニットが設置されていることを教えてくれた。
中居がぴょんぴょん跳ねながら、スチュワートに訴えた。
「トイレに入っていいかい、さっきから我慢していたんだ」
「トイレ使用につきましては、マニュアルがございますので、ご説明いたします」
「すっ、すまないけど、てて、手短に……」
「承知しました」
スチュワートは、独特な便座の操作方法を丁寧に実演してくれた。
「まず、便座のふたを開けます。次に横に備えてある四角い紙パックを開いて下に敷きます。そして用が済みましたら、便座のふたを閉めれば終了です」
佐藤が首をひねった。
「紙パックはどうなるんだ。水洗じゃないのかい?」
「紙パックはふたを閉めると空に投棄されます。飛行船の浮力の関係上、積載水量に限界がございましてトイレは、水洗ではなく紙パック投棄式が採用されました」
「ひどい。それじゃ地上の人間に直撃することだって……」
「ある程度の高度になりますと紙パックは、落下時に空中分解し、霧状となりますのでご心配なく」
スチュワートは感じよく佐藤に笑って答えた。両者の会話に割り込むように、ずっと待たされていた中居が、
「ししっ、失礼!」
と悲鳴をあげて、ユニットバス・トイレから二人を閉めだした。
プロムナードデッキは、乗客キャビンの両脇にあった。乗客キャビンから食堂のある左舷プロムナードデッキに向かう通路には赤い絨毯が敷かれ、壁や天井にはアールヌーボー様式の絵画や装飾が施されていた。アールヌーボーとは一九世紀末から二〇世紀初頭に流行した様式で、その展開は、美術界のみならず、建築や工芸といった分野にまで広がっている大芸術運動だった。アールヌーボー様式で統一された壁の随所には、東欧チェコの画家アルフォンソ・ミュシャのパネルが綺麗にはめ込まれており、ギリシャの女神がモチーフとなっていた。
ミュシャは、ポスターや装飾パネルの分野で活躍した画家で、近代グラフィックアートに革命をもたらした。東洋水彩画風のおさえ気味にした色調と様式のなかに、赤みを帯びたみずみずしい女性達を描いている。
アールヌーボーの代表的な画家には、他にクリムトがいるのだが、その人の画風は、金や赤・緑・紫といた極彩色を多用しているのだが、どことなく死の影が漂い、ミュシャの画風とは対照的である。
黄金の髪を後ろに結った若い貴婦人は、通路にはめ込まれたミュシャのパネルにすっかり魅了され、「素敵だわ!」と何度もつぶやいていた。
ミュシャの通路を右に折れて、プロムナードデッキに入ると食堂となり、食堂をさらに抜けると展望室となる。そこの窓の一部にはステンドグラスがはめ込まれているため、さしこむ光は複雑なものに変化するのだ。また展望室はベージュ色の壁や天井を基調としているのだが、随所に黒と金の意匠を加えてめりはりをつけていた。
「ソファーは折り畳み式になっておりまして、夕食の間に乗務員がベッドに組み直させて頂きます。またルームサービスをご所望の場合は呼び鈴を鳴らしてください」
スチュワートはさらに細々とした案内をしてくれた。洗面台の蛇口には温水・冷水の両方があること、部屋にはバス・トイレユニットが設置されていることを教えてくれた。
中居がぴょんぴょん跳ねながら、スチュワートに訴えた。
「トイレに入っていいかい、さっきから我慢していたんだ」
「トイレ使用につきましては、マニュアルがございますので、ご説明いたします」
「すっ、すまないけど、てて、手短に……」
「承知しました」
スチュワートは、独特な便座の操作方法を丁寧に実演してくれた。
「まず、便座のふたを開けます。次に横に備えてある四角い紙パックを開いて下に敷きます。そして用が済みましたら、便座のふたを閉めれば終了です」
佐藤が首をひねった。
「紙パックはどうなるんだ。水洗じゃないのかい?」
「紙パックはふたを閉めると空に投棄されます。飛行船の浮力の関係上、積載水量に限界がございましてトイレは、水洗ではなく紙パック投棄式が採用されました」
「ひどい。それじゃ地上の人間に直撃することだって……」
「ある程度の高度になりますと紙パックは、落下時に空中分解し、霧状となりますのでご心配なく」
スチュワートは感じよく佐藤に笑って答えた。両者の会話に割り込むように、ずっと待たされていた中居が、
「ししっ、失礼!」
と悲鳴をあげて、ユニットバス・トイレから二人を閉めだした。
プロムナードデッキは、乗客キャビンの両脇にあった。乗客キャビンから食堂のある左舷プロムナードデッキに向かう通路には赤い絨毯が敷かれ、壁や天井にはアールヌーボー様式の絵画や装飾が施されていた。アールヌーボーとは一九世紀末から二〇世紀初頭に流行した様式で、その展開は、美術界のみならず、建築や工芸といった分野にまで広がっている大芸術運動だった。アールヌーボー様式で統一された壁の随所には、東欧チェコの画家アルフォンソ・ミュシャのパネルが綺麗にはめ込まれており、ギリシャの女神がモチーフとなっていた。
ミュシャは、ポスターや装飾パネルの分野で活躍した画家で、近代グラフィックアートに革命をもたらした。東洋水彩画風のおさえ気味にした色調と様式のなかに、赤みを帯びたみずみずしい女性達を描いている。
アールヌーボーの代表的な画家には、他にクリムトがいるのだが、その人の画風は、金や赤・緑・紫といた極彩色を多用しているのだが、どことなく死の影が漂い、ミュシャの画風とは対照的である。
黄金の髪を後ろに結った若い貴婦人は、通路にはめ込まれたミュシャのパネルにすっかり魅了され、「素敵だわ!」と何度もつぶやいていた。
ミュシャの通路を右に折れて、プロムナードデッキに入ると食堂となり、食堂をさらに抜けると展望室となる。そこの窓の一部にはステンドグラスがはめ込まれているため、さしこむ光は複雑なものに変化するのだ。また展望室はベージュ色の壁や天井を基調としているのだが、随所に黒と金の意匠を加えてめりはりをつけていた。
更新日:2009-06-22 22:33:13