• 40 / 72 ページ

お葬式

しかし 私の母も 負けてませんでした 「 だったら 生きてる間に、縁でも 何でも、切ればよかったのに ・・ あぁ そうだろうね 、和樹も いつも 俺のおっかさんは、ナナミの おっかさんだけだ 。 って 言ってましたし 」 誇らしげに、そう言い放った。 和樹の母は、すっく と その場を 立ち、 「 紀夫 行くよ 」 そう言うと、まだ ガランとした 会場を、 急ぎ足で 出て行った ・・。 信じられない、あの2人、和樹に線香 ひとつあげず、和樹の顔も見ず、振り返る ことも無く、出て行ったのだ。 本当に自分の子? 兄弟なの? 人間じゃないよ ・・ こんな事なら 和樹、和樹の 言ったように、 「 俺が 死んでも 連絡するなよ 」 って言ったこと、守ればよかったね ・・・ 。 こんな 汚い やり取りの中でも、マナ は、 お父さんから 離れることなく、ズット和樹の顔を、愛おしそうに 眺めながら、泣きながら 、何度も 何度も、顔を ・ 頭を・撫でていた、 「 マナ! お父さんの顔が、擦れてなくなっちゃうよ ・・ 」 私も 母も、マナの姿を見て、涙していた ・・・・・・ 。 和樹の母と紀夫も、こんなマナを 見ても 何も感じなかったのか? 和樹に 手を 合わせることも無く、去っていったが ・・ 案の定 、このあと 通や ・ 葬式にも 二人は 顔を 出すことは無かった。 私は 内心ホッとしていた ・・ だが あの2人の反撃は、このままでは 収まらなかったのだ。 このあと 大変な事に なるとも知らず、私は一件落着と、胸をなでおろしていた。 明日は お通や。 次の日はお葬式。 今日は ゆっくり 和樹の横で、家族だけで 最後の時間を、一緒に 過ごそう ・・・ 。 明日からの、段取りも 終わり、家族だけになり、食事を 用意してくれたが、やはりサナ以外は、食事が 喉に通ら なかったようだ。 私は知り合いの 友人に頼み一度自宅へ、喪服と、遺影用の写真、そして 生前 和樹が 大事にしていたバイクを、自宅から会場へ、運ぶのを 手伝ってもらい、会場の入り口に 飾っていた。 ちょうどその時 ・・子供たちが 騒ぎ出したのだ 「 お母さん! 早く ~ ・・早く ~ ・・ 早く来てよ ~ お父さんが ・・お父さんが ・ 笑った ~ お父さんが、わらってるぅ ! 」 私は急いで、和樹に近づき、顔を 覗き込んだ、本当だ! 今まで、しっかり 閉まっていた 唇が、少し開き、口角が上がり、笑っているように見えた ・・ というより 微笑んでいた ・・ バイクを 運んできたからだ ・・ 大好きだったバイクを、運んできたことが、嬉しかったのだ ・・ 見てるんだ、私たちを どこからか、和樹が 見てるんだ ・・・・ 。 気持ちが楽になった気がした ・ 私は シャワーを浴び、和樹の横たわる布団の隣に、 添い寝した、お線香を絶やすことなく、一睡もすることなく、ずっと朝が来るまで、話しかけていた。 和樹にそっと ・・・・・・・ 最後の
口づけをした ・・・・・ 。




更新日:2009-04-23 09:19:56

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook

激動人生「生と死」・・・・・幸せになるまで