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少しずつ 友一と 子供たちの、距離が 縮まっていった。 毎日が楽しかった、 わが子が こんなにも 愛おしいなんて、 特に 奈々は、私が 居ない 間に、かなり成長していた、私が、3人を お風呂に入れると、奈々が 先に、お風呂から出て 体を拭き、妹が出てくるのを 待っていた、妹たちを タオルで、丁寧に拭いて あげている、「 動いちゃだめよ! はい あんよ上げて、はい 今度はこっち、 さな! こっちに来なさい、走っちゃだめ! 」 こんな具合で、いつの間にか、長女の 貫禄が 出てきた 、私は そんな彼女を見て、ただ ただ 感心した 。 { 親はなくとも子は育つ } とは、よく言ったものだ。 キカンボウ の まなも、奈々が怖いのか、渋々、言うことを 聞いている 。 こんなに小さな、子供たちでさえ 上下関係があり、 家族・姉妹の関係は、こうした 毎日の積み重ね により、成り立っているのだ、とツクズク 考えさせられた。 毎朝の日課、和樹の お弁当作りから始まり、子供たちの幼稚園の送り迎え、バス乗り場まで歩いていくのだが、たわいもない話や、子供たちの つっつきあいのやり取りが、私を癒していってくれたのだ。 癒しといえば 子供だけではなく、友一の温厚な口調・に 酒を飲まない安心感・ 何か事が起きても 怒らず・ 少しテンパル・ が冷 静に対処してくれる ・ 子供に対しても優しい 。 が しかし、自分のしている行動は、人間としてというか、日本人として、最低な事をしている自覚はかなりあった、 誤解を 招くといけないので一言、不倫を肯定する 気は さらさらない、 ・・・・・ 。 和樹は、平日休みで 土曜・日曜は忙しすぎて、泊まりに なることが多かった。 私は自動車免許もなく、幼稚園が休みでも、子供たちを車で、遊びに連れて行くことができず・・・・ 「 幼稚園の友達は、みんな車でお父さんにいろんなところに連れて行ってもらってる ぅ 」 幼稚園に入れてからは、いつも そう言われていた。 言い訳になるが、この間の悪い キッカケ が、友一と 私たちの仲を、より強くしてしまったのだと思う。 お金のないときは、お弁当を作り、少し遠くまで、車で行き ピクニックをしたり、一泊の旅行にもいっていた。 半年が過ぎた・ 和樹には 気付かれていない と思っていたが、さすがに 世間はそんなに甘くない・・ 近所のおばさんの告げ口で、和樹の 堪忍袋の緒が 切れた。 のか、過去最悪のDVであった。 顔は 腫れ上がり、肋骨を 折った、全治2ヶ月の診断だった、 病院の先生は 「 警察に言おうか? 」 親切に そう言ってくれた、がしかし、モット前に警察に相談しとけばよかったが、 今は 私も不倫しているのだ 大袈裟にはできない、和樹だけが悪いんじゃないから。 ・・・・ その日 胸騒ぎがするから、と電話があり 友一が病院へ、私の顔を見るなり、彼が、思いもよらぬ行動に 出た。

更新日:2009-03-25 10:53:41

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激動人生「生と死」・・・・・幸せになるまで