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子供への無償の愛

吉川の お葬式が終わり 、約半月、私は薬漬けの毎日から抜け出したかった、相変わらずの寒さ・息苦しさ・と戦いながら、子供のことしか考えていなった。 吉川が亡くなり、母はかなり参っていたようで、散々心配と迷惑をかけてしまい、こんな私でも 力になれるかと思い、度々母に電話した、母は泣きながら 「 あんたが帰ってきてくれるだけでいい 」 といわれ、私は 家に帰るキッカケを、探していた。 友一に 帰る という勇気がなく、一日 一日 過ぎていく、あせる気持ちが、病気を ひどくしているのを感じていた、ある日 母が 「 最近、三女 マナの様子が おかしくて、毎日、お母さん、お母さんって 愚図って、幼稚園にも行かないし、みんなで遊ぶことも無くなったよ、明日 予防接種だけどこんなんじぁあ連れて行けないよ 頼むからマナの為に帰ってきて 」 この言葉に 「 今日帰るから 」 私は即答した。 やっとキッカケが見付かった、明日 子供に会える、ヤッター! こんな嬉しさとは裏腹に、友一を 裏切るようで、又 一人にしてしまう、何て話そう、どう切り出そう、息が苦しい 「 友一ぃ 子供が 明日、予防接種で・・・・・・・ 」 友一は 大声で 泣き出した、彼もずっと考えていたらしい、いつ その言葉を言われるか、怖かったのだ、「 ごめんね 、ごめんね 」 私も泣きながら、何度も 何度も 謝っていた。 彼は私に 言った 「明日、けじめをつけに自宅に戻るから 」 けじめ? 「 中途半端な生き方は 明日で止めるから、離婚して お前と一緒になりたい きっと子供は 母親についていくというだろうけど、もし俺が育てることになったら、家族8人で暮らしたい、そうなったら協力してください 」 そう言って、ゆっくり頭を下げた。 返事ができなかった 、 自信が無かったからだ。 子供を育てることに自信が無かったわけじゃない、和樹と離婚することが、無理だとわかっていたからだ。 私は あんな酒乱で、暴力を振るう人で、やさしくも無い人だが、人間として好きだった、尊敬していた、何故なら、思いやりだけは世界の誰にも負けない人だと、 確信していたからだ 、 だから和樹とは 離婚はできない。 その場で口には出せなかった、一生 友一には言えないだろう。 しかし 現実的には 今日 帰ることを考えると 和樹が怖くて仕方なかった、母も、和樹が私を殴るんじゃないかと、心配して 家にいてくれているらしい。 夜の11時、友一の男らしさと 優しさに、後ろ髪を引かれながら、私は 三ヶ月ぶりに自宅に戻った。

更新日:2009-03-22 15:07:14

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激動人生「生と死」・・・・・幸せになるまで