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子どもたちの 笑顔が ・ 笑い声が ・ 泣き顔が ・ 頭から離れなくなっていた、 会いたい、ただ会いたい、 会って抱きしめたい、日に日にこの思いが強くなる、会いたいと 思えば思うほど、苦しく、息ができない、 本当に限界が近づいてきている、私は実感していた。 和樹と話がしたい 、子どもたちはどうしているだろう 友一には悪いと思ったが、みどりに電話するといい、公衆電話まで乗せていってもらった、 恐る 恐る、自宅に居る和樹に、電話した。すると 和樹の口から思いもよらぬ言葉が、 「 お前、お金なくてビールも飲んでないだろう、洋服も無いだろうし、明日みどりの家に届けとくから貰いに行け 、子どもはおばあちゃんがみててくれてるから、 今は 子供と話してほしくない、今日帰ってこないなら、 お前と話した後、また可哀想だから 」 しらふの 和樹は本当に、尊敬に値する人間だ 。 次の日、友一の仕事が終わり、みどりの家に行った、袋に3枚ほどの洋服 、下着、封筒には2万円入っていた ・・・・ 不器用な和樹・・言葉では、私を、愛してるとは言わないものの、手に取るように、和樹の気持ちが痛いほどわかった、帰りたい、 思いは強くなる、 決して友一を嫌になったわけじゃない、友一を愛しているが、 この気持ちより子供に対する思いのほうが、強かった。 助かったぁ お金もあるし、私はいきつけの 病院に行き、診察してもらった、 いろいろ検査した、 精神科にもまわされ、丸一日かかった、結果、「 自律神経失調症 」 一言で言うと簡単だが、自分しかわからない、孤独感 ・ 痛み ・ 苦しみ ・ 精神安定剤 と 睡眠薬 の他、2種類の薬を処方してもらったが、これがきっかけとなり、未だに安定剤と睡眠薬は手放せなくなっている、 まさしく、自業自得である。 車生活も、二ヶ月が過ぎたころだ、友一の会社に、一本の電話があったらしい、私の母から伝言だ 「 今日中に電話してくれ 」 というものだった、何かあったのか? 伝言を聞き すぐに電話した、 突然だった、吉川が死んだ! 今晩がお通夜といわれ、友一は葬儀会場へ、私は顔をだせるわけもなく、車の中で 友一の帰りを待った。友一は半年振りくらいか 家族、親族と顔を合わせたのだ、みんな葬儀の場ということでか、何もなかったかのような素振りだったらしい。 3時間が経った、友一が戻り 話を聞くと、病気に気がついたときには、すでに末期ガンだったらしく、あっけなく、亡くなったらしい。 こんな 勝手な事している間に、申し訳ない気持ちで 涙がでた。 通夜が 終わり 私の母が、友一に近づき 「 早く私の娘 返してよ、 いい加減 返しなさい 」 きつい口調で、責められたらしい。 そりゃそうだ、世間からしてみれば、あまりにも自分勝手な・横暴な・行動だ 。 この先このままではいけない、何かけじめをつけなければ ・・・・・・・・ 。
更新日:2009-03-19 14:11:16