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逃亡

楽しそうに団欒していた、私の居ない 私の家族を 傍から見て、ショックと虚しさが、込み上げてきた、 その女の存在を知った私は、とりあえず 友一のところへ向かった、だが 車生活をしていた友一は、私が来たことで、今よりも モット 窮屈な 貧しい生活を しなければならない 、それを思うと 気後れしていた、しかしそんな私の気持ちなんて、お構いなしに、彼は、とても嬉しいらしく、素直に喜び、歓迎してくれた。
しかし この日から、お互い想像すらしていなかった、二人の壮絶な車生活が、始まっていくのである ・・・・・ 朝一番で、友一の会社へ行き、まだ 誰も出勤していないことを確認し、営業車に乗り換え、私は後部座席に隠れるように 腰を折り曲げ、毎日 友一の仕事についてまわった、 朝ごはんはおろか、昼ごはんも食べられない 日まであった、 彼がお客の接待をしている間、私はというと、暖房もつけず、凍えながらひたすら待ち、誰よりも遅く 会社に戻る。 また 人の居ないことを 確認し 友一の車に乗り換える。 無理な体勢で体が痛かった。 夜、誰も居なくなった公園の駐車場、堤防の草むら、周りの人や 警察から 不審に思われないように、私たちは毎日、場所を変え、寝場所にしていた、 ガスコンロでお湯を沸かし、インスタントラーメンを作ったり、ご飯まで炊いた 、一文無しで家を出てきた 私には、大好きな晩酌のビールなど、買うお金もなく、また友一に 「 欲しい物を買って 」 と甘えることも出来なかった。 待ちに待った 週に一度の贅沢、そこは古ぼけた 安い食堂だったが、おばちゃんの笑顔と、1本のビールがあった 、 いまだに味は忘れていない、少し形の崩れた 湯豆腐 に、ちょっぴり 塩っ辛いオムライス、ご馳走だ、暖かい部屋で ご飯が食べれる 、 まさに 天国だった。 しかし 食事が終わると恐怖の時間だ、公園のトイレに行き、真っ暗の中、用を足し、手洗い場で 顔を洗い、歯を磨く。 雨の日は最悪だ った、 普通に暮らしていれば、何ら問題のない、毎日の日課だが、辛かったぁー これよりさらに辛く、悲鳴をあげるほどの事、それは 朝日が昇ると同時に、しなければならない、時間がたてばたつほど、人が行動し始めるから・・・ いてつく寒さの中、蛇口をひねり、顔を洗い、歯を磨く、気合を入れて、右手にリンスインシャンプーを持ち、股にタオルを挟み、髪を洗うのだ、息が止まりそうだった、何かの罰ゲームよりひどい。だが、蛇口から水が出る日はまだいいが、蛇口自体が凍って水の出ないときもあるのだ。 何週間が経ったであろう、私の身体に異常があらわれた、息ができない・ 喉が 、針の穴ほどしかないくらい、息が吸えない ・ 眠れない ・ こんな症状を、一日に何度も繰り返すのだ ・・・・・・。 限界

更新日:2009-03-19 11:52:31

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激動人生「生と死」・・・・・幸せになるまで