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第3章 薩摩藩 外様として疎んじられる

 以上の経緯から外様衆は領地の所有域は、親藩・譜代藩に比べれば大也(なり)であっても、国としての重大指針に関しては不干渉とするに留まることを通達された。
 外様藩は関ヶ原戦以降から徳川に従属した大名家であり、それだけに幕府発足時には情勢次第で翻る危険性をはらむとして、大名間の外交・兵員増員や城の改修築造など、独立を維持するための権限行使については、幕府首脳に打診を義務付け、許可を得させることで反抗を未然に防ごうという狙いがあった。
 それだけ数いる外様衆の合力されるのを恐れた背景として、徳川とは婚姻関係には無いながらも、今もって戦国時代の化身さながらの気風実力の名残も強く残る長州および薩摩はその最たるものとして、遠い将来においては幕府転覆の急先鋒となる雄藩だろうと、世人や幕閣たちの意見一致するところだった。


 阿部としてもこうした意見が幕府内に常態化している様を、大老職として看過するわけにもいかず、越前春嶽にこうした風聞状況をどのように捉えるべきか、と意見を求めた。

 春嶽は問いに対し、「よもや斉彬に限って、まことしやかに囁かれている噂の通りのことはしないだろう。世間は、彼の日本国全体を思う志、つまり見たこともない斬新な提案書に対して嫉妬し、邪推をしているだけなのだ。とはいえそこはあの斉彬といえども一人の人間だ、そのようなことを公然と言い続けられたら、そのような反逆の意思は無くとも、疎外感も募るだろうし、最悪、感化されてその気になってしまうこともありえる。
  たとえるならば・・・どんなに人に慣れていて、見てくれの良い観賞用の室内犬である狆(ちん)であっても、周囲から邪見に扱われていると敏感に感じ取れば、不満の矛先として突如、長年の主に対してでさえ牙を剥いて襲い掛かってくるものなのだ。幕府がそうした敵視論が内輪で大勢を占めつつあると知悉しつつも、それに乗せられるあまり薩長に対する対応の仕方について、粗略で軽挙不遜なものにして、彼らの幕府に対する心証を悪くするようなことが絶対にあってはならぬ」

 と、無闇に敵を作り煽ることの危うさと、事は慎重に進めるべしとの旨を返し、聴き手の伊勢守(阿部)もそれには大いに賛同し、深く首を縦にしたという。

 以上の言葉の数々は親藩の強がりと傲慢さが云わせる事と受けとれるが、裏を返せば、春嶽が斉彬の政治資質に対してお墨付きを与えたに等しく、これ以後は阿部としても、その温和にして寛容な精神を発揮させ、斉彬の政治性が反対派に阻害されることなく幕政に活用される様に、敵対論者間を調整役として飛び交い、薩摩との親和の度合いを深めるべく尽力した。斉彬としても、自分を快く思わない諸侯がいることは知っていたものの、静観するだけでなく、排斥派と積極的に互いに往来する機会を作って懇談し、自分がいかに改革を推し進めることのみを抱く存在なのか、それを正確に知ってもらう為の外交努力にも傾注することにもなった。

更新日:2009-03-09 13:16:55