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1章 斉彬と諸侯・阿部正弘との交情

挿絵 121*227

  弘化嘉永年 アメリカ特使ペリー提督が渡来する以前、日本国内においては開国に関して賛意を示し、可能にする人物たちが多数輩出された。
 
 水戸斉昭・島津斉彬・伊達宗城・松平慶永・山内豊信・鍋島斎正・等諸侯がその急先鋒といえよう。また江戸幕府内における幕吏では阿部伊勢守正弘、岩瀬肥後守、筒井肥前守、川路左衛門尉がいた。

 そのうちで島津斉彬は松平慶永・伊達宗城・山内豊信・鍋島斎正などとは、最も親しい間柄にあった。だが、彼らはむしろ、斉彬と対等の立場で接するというのではなく、先駆者として仰ぎ師事する面が強かった。
 いうなれば松平慶永らは、薩摩s経由で国際情勢を知り得てから開国派に転じた一派であり、彼らが島津家に影響を及ぼせる立場ではなかったということだ。

 このような状況でも、水戸斉昭は年齢面のみならず、御三家として威光と矜持を強く保持する姿勢を崩さなかった。
 斉昭とは以前、まだ斉彬の後継者であった頃から相互に主義を披見し合う仲であた。蘭学書や翻訳本の貸し借りもしていた(往復書簡にて蔵書の目録交換を図っていた)。そうしたなかで、自然と海外の情勢について近代化への過程に関する自論を披見し合い討議することで、本心を打ち明け合う親密な間柄ともなった。

 だがその反面、斉昭は斉彬の戦備拡充論に対し、その心中深くに幕府転覆の影ありと邪推した。斉彬としては斉昭を御三家の一人として恭順と崇敬の意を以て謁見に臨んでいたが、そうした態度を全幅の忠義とは捉えない用心深さだった。

 水戸斉昭にとって島津斉彬とは、幕府に物申せる実力者の中においても、先駆性に富んだ才智豊かな人物として中々に得難い逸材として認めてはいた。が、公的な場においては大勢側に拠って立つが、本心ではその真逆の主義を主流にするための人事間工作を密かにやってのける謀士の一面をも併せ持つ面従腹背の徒ではないか、と危険視していたのである。

 そうした噂が立ってしまうのは、斉昭を介して斉彬とも会見する諸侯の立場それぞれに配慮して話すがゆえに、それを人によっては態度を変える一面を持つと、穿った見方をされてしまった不運がある。

更新日:2009-03-05 16:24:12