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 放課後。

 一ノ瀬悟は本を読んでいる。
 一ノ瀬の席は、真ん中の列の一番後ろ。
 教室にいるのは、私と一ノ瀬だけ。
 5月の心地よい風が、教室のカーテンを揺らしている。

「何読んでるの?」
私は一ノ瀬に話しかける。
「これ」
 一ノ瀬はカバーを外して題名を見せてくれる。
 私の知らない小説だ。
「一ノ瀬そんなの読むんだ」
「あー、なんか、小峰さんが、おもしろいって言ってたから買ってみた」
「へー、そうなんだ」
小峰祥子は、同じクラスのメガネが似合う知的な感じの美少女だ。
 私の胸がちくりと痛む。
 でも平気を装う。
「で、おもしろいの?」
「うーん……。まだ最初の方だから、よくわからない」
「ふーん」
 一ノ瀬は読み続ける。
「私帰るね」
「あー、また明日」
 一ノ瀬は本から目を離すことなくそう言った。

「ただいまー」
「おかえりー。プリン買ってあるよ」
 母親が出迎えてくれたけど、プリンもあると言ってくれたけど
「今はいいや」
 と言って、私は自分の部屋に行く。部屋着に着替える。
 そして、ベッドにごろんと横になった。
 はー……。ため息がもれる。

 一ノ瀬悟とは、高校に入学して知り合った。同じクラスで席が近かった。
一ノ瀬は、クラスで特に目立つタイプではなくて、中学から友達だという江口大樹と話していることが多い。
 穏やかで優しそうな一ノ瀬のことを、私は、ついつい目で追っていた。でも、たまに目が合う時があっても、思わず目をそらしてしまっていた。話しかける勇気もなくて、話す相手といえば、やっぱり席が近い飯田萌だけだった。そして、それ以外は本を読んでいた。

 ある日、私が本を読んでいると
「岩崎、何読んでるの?」
と一ノ瀬が訊いてきて、びっくりした。題名を言うと
「じゃあ、読み終わったら貸して。いい?」
 と言ってきた。
 私は、かなり驚いたけど
「いいよ」
 と言って、翌日一ノ瀬に貸した。
「え?もう読み終わったの?」
と、びっくりされたけど、
「だって、昨日の時点で終わりに近かったから」
 と私は言った。でも、本当は、半ば過ぎくらいまでしか読んでいなくて、深夜2時に読み終わったんだけど……。
 日が開いちゃうと、貸しても、そんなこと言ったっけ?なんて言われそうで、ちょっと怖かった。だから、速攻で読んで、速攻で渡した。

 一ノ瀬が本を返してくれたのは、1週間後だった。
「どうだった?」
 と私が訊くと
「おもしろかったよ」
 と一言だけ。
 でも、その後も、私が読んで、それを一ノ瀬に貸して、ということが何回となく繰り返された。

 そして2年になっても同じクラスになって、私は一ノ瀬に本を貸し続けていた。
 なのに……。
 初めて同じクラスになった小峰祥子のおもしろいと言った本を一ノ瀬が買った、というのは、ある意味衝撃だった。

 一ノ瀬って、本買ったりする人だったんだ。
 一ノ瀬の知らない一面を見させられた感じがした。

更新日:2023-09-03 01:20:14

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買うのか借りるのか?私にとって、その違いは大きい。