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朝暾-2

3帖の房に注ぐ塀に半分以上を切り取られた朝日が射し込み拘置所の一日が始まる。
起床の所内放送が響く少し前に、友梨菜は目を覚ました。鉄格子越しに高い塀しか目に入らない景色、窓の手前、目に飛び込んでくる便器。その便器の臭い。「そうだ、私は昨日から・・・」昨日検察庁に出頭し、この拘置所に収監された。しばらくは拘置所で生活した後に刑務所に移送されるというがそれまでの期間は未定という。時計のない拘置所の房ではどれほどの時が流れるかを客観的に見ることはできないが、起床の時間を告げる放送が流れすぐに布団を畳むよう指示される。昨晩、初めて手にした薄く汚い布団、クッション性はほぼなく体がそのまま床にぶつかる感触は、前日までの実家マンションの部屋で使用してベッドとあまりに違う。体を覆う毛玉に覆われた化繊の毛布をめくりあげ、決められた場所にすぐに畳んで置く。こうした細かい規則は房になる入所者心得に事細かに書かれているが、全部をすぐに覚えることはできないが、昨夕布団を渡された際に畳み方には細かい指示が千咲からあった。壁際の小さな洗面台の蛇口から流れだす冷たい水で顔を洗う、目の前の鏡は顔の半分しか映らない小さなもの、昨日手錠をかけられたときから大量の涙を流し続けた瞳は真っ赤にはれ上がっている。これからどれだけの涙を流すのか、いや事故を起こしたときから自由を奪われなかったとはいえ、日常の中に取り調べや裁判、遺族への謝罪や補償の話し合いというものが友梨梨の日常に侵入しそのたびに多くの涙を流した、昨日のそれが決定的に違ったのは手錠によって、その涙を拭う自由を初めて奪われていたことだ。手を上げようとした瞬間、腰に巻き付けられた縄と一体になった手錠は目に届かず手首の骨に鋭く食い込んできた。その痛みが重なると大粒の涙は間断なく流れて太腿のストッキングの上に落ち続けた。そのストッキングも入所時の検査で取り上げられ廃棄に同意させられたため、今はショートパンツの裾から出た太腿は何にも覆われていない。そして裾から爪先まで覆うもののない足にまだ冷たい春の空気が噛みついてくる。赤く腫れた瞳の外側ショートカットの黒髪は一昨日にそれまで通っていたサロン切って染めたもの、浪人生の頃からの栗色のロングヘアが当たり前だったためまだ違和感がある。友梨菜と顔なじみの少し年上の美容師は鋏を入れる際に涙を流す友梨菜の様子を心配し、失恋が髪型を変える理由と思ったのか、すぐに新しい彼氏は見つかるからという的外れな励ましをしてくれた。気配りは嬉しかったが美容師の想像を遥かに超えた過酷な運命の前に友梨菜はその言葉を受け流すだけであったが。一方で事故の後、もっとやれることはあったか、そうすればここに収監されることはなく執行猶予のついた判決になったのではないか。例えば反省を示すために裁判を受けたときに今の短い髪型にしていたら、結果が違ったかもわからない後悔の念に対しても考えるだけでまた涙が溢れだし来るが、頭上のスピーカーは全く意に介せず点検用意を告げた。


更新日:2023-03-30 02:39:23

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