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収監
マンションの通路に面した北側5帖の部屋に日が射しこまない朝を迎える。整理整頓はあまりされておらず、衣服や化粧品などが適度に床に散らばる部屋。この部屋の今日までの主は大学生の友梨菜、小学校入学のときから両親と妹の4人でこのマンションで生活してきた。175㎝という長身を別にすればどこにでもいるような女性であるが、非常に特別なそして過酷であろう運命を彼女は目の前にしている。友梨菜は2年前に信号無視が原因で交通事故を起こして少年の命を奪い、母親にも全治6カ月の重傷を負わせた。この程度であれば執行猶予がつくことも多いものであるが、任意保険の更新を忘れていたために自賠責保険は下りるものの、それだけでは十分な補償ができないこと、遺族の処罰感情が厳しいことなどから、禁固2年の実刑判決が友梨菜に下され、控訴審でも判決は覆らなかった。そして今日が検察庁に出頭し収監される日、今日まで一日一日当たり前であった自由を大切にしてきたがついにそれが終わるとき。
布団はいつも敷きぱなしので今日もあえて畳むことをせず、Tシャツとショーツの恰好から、外出用の服に着替える。自由な服装ができる最後のときだ。長身で一般男性の言葉を借りれば可もなく不可もなく程度の容貌の地味な女子大生の、小さなクローゼットに収まる程度の数の服であるが、いつもより長い時間をかけ、水色のブラウスに、デニムのジャケット、赤のタイトミニのスカート、中にはお気に入りのキャラクターのプリントのショーツという少し派手に思えるような服を選び、身を包んだ。刑務所に行くことが決まって以来、収監後はいつも身に着けるであろう、無彩色のアイテムはどうしても避けたくなってしまう。母親がいつになく、力の入った食べきれないほどの朝食を用意した。昨日は最後の自由な生活ができる日、携帯電話の休止手続き、それまでの栗色のロング自体は刑務所で禁止ではないが、当然カラーやパーマはできず、洗髪も週に2回だけと聞かされ、髪型を黒のショートにするための美容院、夜には家族で高級レストランに連れていかれたが、当然、楽しむだけの精神的な余裕はなかったが、生クリームを使ったスイーツなどこれからは絶対口にできないであろうものは残さず口にした。
父親が中小企業のサラリーマン、母親がスーパーのパートという、特に裕福でない家庭であったが、友梨菜を守るために控訴審では大物の私選弁護人を依頼してくれ、ローンの残るマンションの売却も検討してでも、被害者への補償をしようと努めてくれた。高校生の妹も専門学校への進学希望を取り下げ、派遣社員として働くことを決めた。友梨菜が判決を受け入れに行くことを決め、退学届を大学に出そうとしたが、両親や友人、指導教員などの励ましで、出所後に復学することを前提とした休学扱いとしてくれた。今の刑務所には出所後の生活支援のための学習メニューを積極的に利用することを勧め、励ましてくれた周囲の人たち。それを裏切ることはできないという思いは強かったが、刑務所の生活という恐怖がその気持ちを押しつぶそうとしている。
指定時刻は10時、検察庁までは電車で30分かからない距離であるが9時前に家族とともにマンションを出た。14年前から何度も見てきた廊下から見下ろす景色や吹いてくる風も暫くはお別れ、幾度となく通った道を行きかう自由な生活をしている人々も透明に見え、事故の後幾度と通った検察庁の建物に家族とともに入る、これまでと違うのは青色の制服を着た友梨菜と同年代の女性2人が出迎えたことだ。両親や妹と抱き合い最後の別れをし涙した後、女性たちに促されて「職員であっても通行には管理課長の許可が必要」という掲示がされた扉を通ったところで、手を差し出すよう言われ黒い輪を両手にかけられた。これが友梨菜の自由をこれから奪う象徴、そう思うとまた涙が溢れだしてくる。
布団はいつも敷きぱなしので今日もあえて畳むことをせず、Tシャツとショーツの恰好から、外出用の服に着替える。自由な服装ができる最後のときだ。長身で一般男性の言葉を借りれば可もなく不可もなく程度の容貌の地味な女子大生の、小さなクローゼットに収まる程度の数の服であるが、いつもより長い時間をかけ、水色のブラウスに、デニムのジャケット、赤のタイトミニのスカート、中にはお気に入りのキャラクターのプリントのショーツという少し派手に思えるような服を選び、身を包んだ。刑務所に行くことが決まって以来、収監後はいつも身に着けるであろう、無彩色のアイテムはどうしても避けたくなってしまう。母親がいつになく、力の入った食べきれないほどの朝食を用意した。昨日は最後の自由な生活ができる日、携帯電話の休止手続き、それまでの栗色のロング自体は刑務所で禁止ではないが、当然カラーやパーマはできず、洗髪も週に2回だけと聞かされ、髪型を黒のショートにするための美容院、夜には家族で高級レストランに連れていかれたが、当然、楽しむだけの精神的な余裕はなかったが、生クリームを使ったスイーツなどこれからは絶対口にできないであろうものは残さず口にした。
父親が中小企業のサラリーマン、母親がスーパーのパートという、特に裕福でない家庭であったが、友梨菜を守るために控訴審では大物の私選弁護人を依頼してくれ、ローンの残るマンションの売却も検討してでも、被害者への補償をしようと努めてくれた。高校生の妹も専門学校への進学希望を取り下げ、派遣社員として働くことを決めた。友梨菜が判決を受け入れに行くことを決め、退学届を大学に出そうとしたが、両親や友人、指導教員などの励ましで、出所後に復学することを前提とした休学扱いとしてくれた。今の刑務所には出所後の生活支援のための学習メニューを積極的に利用することを勧め、励ましてくれた周囲の人たち。それを裏切ることはできないという思いは強かったが、刑務所の生活という恐怖がその気持ちを押しつぶそうとしている。
指定時刻は10時、検察庁までは電車で30分かからない距離であるが9時前に家族とともにマンションを出た。14年前から何度も見てきた廊下から見下ろす景色や吹いてくる風も暫くはお別れ、幾度となく通った道を行きかう自由な生活をしている人々も透明に見え、事故の後幾度と通った検察庁の建物に家族とともに入る、これまでと違うのは青色の制服を着た友梨菜と同年代の女性2人が出迎えたことだ。両親や妹と抱き合い最後の別れをし涙した後、女性たちに促されて「職員であっても通行には管理課長の許可が必要」という掲示がされた扉を通ったところで、手を差し出すよう言われ黒い輪を両手にかけられた。これが友梨菜の自由をこれから奪う象徴、そう思うとまた涙が溢れだしてくる。
更新日:2023-03-01 11:16:55