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満願の迎合

エンキがアノヴァの門を潜った頃…《沼》の西側にあるヴェッラの街へと、同じように踏み入れた若者があった。聖衣を緩く着流した姿は、一見して神官崩れと解る。人を探す風情の彼は、暫し悩んだ後、神殿へ向かった。

ヴェッラは愛神信仰の盛んな街で、中央神殿の門構えも愛神の舞姫像だった。その像を見上げて、吟遊詩人が立ち尽くしていた。淡い金の髪を背で結わえ、緑の胴衣を纏うその人は、北方伝説の妖精のようだった。肩に担いだ荷は、キサラだろうか。

(讃美の詩でも詠むつもりかな…ご苦労なこった)

若者はその脇を通り過ぎる…と、詩人の方は若者の腕を取った。

「なっ…あの…?」
「初めまして、アルス村のシェクトです…クルタさん、ですよね?」
「え…な、何で…?」
「解りますよ。ここでお待ちしておりました」

シェクトは軽く頭を下げる。クルタは呆気にとられたまま、連られて頭を下げた。

神殿を離れ、宿屋へ向かう。シェクトは1日早く到着して、前日の内に宿を取っていた。

「よく解りましたね、僕だって」

言いながら、クルタはシェクトの表情を覗った…金の髪、薄い碧の瞳、細い鼻筋に下がり気味の目尻、確かに事前に聞いていた通り、つまり、彼こそがクルタの探し人だ。年上の筈だが、何処となく少女めいた印象を与える。シェクトは困惑気味に笑った。

「解りますよ、この辺りじゃ、東方の方はまだ珍しいですからね。私みたいな見てくれの者は幾らでもおりますから、ご苦労なされたでしょう?」
「あぁ…いえ…」

得心半分、不満半分。確かに、クルタはウィシア系の血筋、濃い肌色といい黒髪といい、珍しいかも知れない…だが、シェクトの外見も、充分珍しいのだ。これほど、淡い色彩に洗練された男性は、滅多にいない。それも、紹介者から聞いていた…のに。

「あ、ここですよ。ここの2階です」

シェクトは足を止めた。2人は連れ立って、宿へ入った。

更新日:2023-04-15 16:04:57

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