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暗鬱の捕縄

サラジェの南、山間の街ポドグリャの夜…鉱夫たちのがなり声が飛び交う酒場の隅に、辛気臭い顔が2つ並んでいた。

「洒落になってねぇ…強過ぎるぞ、あいつ」

片方が腕を擦りながら呟くと、もう片方も頷いた。

「まさかここまで差があるとはな。参ったよ」

2人の顔は、表情に留まらず目鼻立ちまでまるで同じ…知る人ぞ知る“魂漁師”、呪術師を捕縛することを生業とする双子の魔術師だ。片や幻術師、片や魔技師という異色の連携で、過去には暴走した“炎の魔術師”を抑えるという大役を果たしたこともある実力者たちである。しかし、今2人の自信は完全に打ち砕かれていた。

「どうする?」
「俺…下りるよ」
「馬鹿なこと言うなよ!俺たちはやるだけのことはやったんだ。成否は問わず、あの人もそう言ってたじゃないか」
「冗談じゃねぇよ!あんな奴にこれ以上関るなんて…俺は御免だぞ!」
「だからって、全部棒に振っちまうことはないだろう?」
「いいや、俺はもう決めたんだ!」

何時の間にか怒鳴り合いになっていた2人を、周りの客は怪訝そうに眺めている…歓楽の時を乱すなと言わんばかりの視線だ。気まずく2人は顔を見合わせ、店を出た。立ち去る後姿を嘲笑で送った鉱夫たちは、扉が閉まった途端にその存在すら忘れたようで、陽気な歌声を響かせる。その頃合を計ったように、もう1人…“魂漁師”の隣の席を占めていた人物が、静やかに店を後にした。

“魂漁師”たちはゆっくりと宿へ向かっていた。というのは、幻術師の方が脚を傷めており、それを支えての帰路であるからだ。後出の客が彼らに追いつくまでに、そう時間は掛からなかった。

「ねぇ、お二人さん」

背後から掛けられた声に、“魂漁師”たちは振り返る。低いが、何とも艶のある女の声だ。彼女は目深く下ろしていた外套の頭巾を外す。それに伴い、闇夜にも浮き上がる濡羽色の髪が胸に零れる。薄光を放つような柔肌は、絶妙な起伏を以て眉目を描く…“魂漁師”は逆に魂を釣り上げられたように、陶然と彼女を見つめた。彼女は鮮紅の唇を笑みに歪める。

「ごめんなさい、さっきのお話、聞かせてもらったわ。もう少し詳しく教えて下さらない?」
「…!」

“魂漁師”は瞬時に我に返った。酒の勢いとはいえ、まずい事を言った。これ以上は話す訳には行かない…それに、この女は魔術師だ。瞳を見れば解る。身構えた“魂漁師”に、女魔術師は微笑み掛ける。

「へぇ…流石は玄人ね」
「何者だ!」
「“闇に弾かれし者よ”」

返答とも聞こえる女魔術師の声に、大気が震えた。直後、魔技師は胸を貫く衝撃に意識を奪われた。支え手を失った幻術師は、その場に転がる。女魔術師は歩みを寄せる。

「教えてくれるわね?…逃げ場はないのよ」
「…っ…」

目前に立った女魔術師に、幻術師は指笛で応える…音階を呪文にした幻術だ。女魔術師は地面が泥沼化したような感覚に陥る…とはいえ、幻術師は効かなかったと思って蒼褪めた、それ程に彼女の立ち姿に変化はなかったのだが。と…

「“開封”」

第三の声が割り込んだと聞いた直後、幻術師の上体は炎に包まれた。瞬発的な火炎だが、炙られた幻術師は苦痛に悶え、悲鳴を上げる。護衛でも務めるように足元に着地して唸る黒猟犬に、幻から解放された女魔術師は嘆息めいて漏らした。

「酷いことするのね…」
「お気に召しませんでしたか?」

女魔術師は声音の源を見向く…僧衣めいた暗色の装束を羽織った黄枯色の髪の男が、街路樹に凭れてこちらを眺めている。

「不満だわ。これから睦言を交わそうって時に…」
「それならば、私がお相手を務めましょう」

眉を寄せる女魔術師に、僧衣の男は咽喉を鳴らして笑う。

「そんな顔をなさらずとも…」
「知っているの?貴方」
「ええ、それは」

女魔術師はやや考えた風に黒猟犬の背を撫でていたが、やがて頷いた。

「まぁ…それなら勘弁してもいいわね」
「ところで、私の宿はすぐそこなのですが…実は、窓から貴女の姿を拝見してのお節介でしてね。少し、如何です?…メディア」

その言葉に、メディアの眉が跳ね上がる。

「どういうつもり?ここで名を呼ぶなんて…」

男は僅かに振り返る…幻術師は、まだ呻いてはいるが、大分落ち着いた様子だ。こちらの会話も聞こえているかもしれない。

「通り名でお呼びしたほうが良かった…とでも?」
「…いいえ。そうね、悪かったわ、ヘスター。お邪魔しても構わない?」
「こちらこそ、失礼を…誠に、光栄ですな」

メディアは差し出されたヘスターの手を取り、共に宿へ向かった。

更新日:2023-03-25 22:31:47

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