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男の姿が沙漠から消えた時、“氷の天使”は地に下りた。大地に触れたつま先から、その身が色づいて行く…鎧が解け崩れるように、まずは素足が覗き、翼は真紅の絹布へと化し、夜風に閃く。その布は天使へ纏いつき、巻かれたところから透けるような肌が露になる。足首と腕には金環が嵌り、そこに付けられた鈴が身動ぐ度に清かに音を立てる。そして、遂に…相貌が変化して行く…尖った少年の容顔から、儚げな少女の面立ちへと。銀の髪は秘色に輝き帯び、琥珀の双眸は孔雀羽の如く絶え間なく色を変える。

“氷の天使”から生れ落ちた少女は沙漠を見渡し…身震いした。

「…寒…っ」

風が笑い出す…だが、すぐにその風自らが厚い羽織となり、少女の肩に掛かった。少女は満足げに微笑み、彼方を見遣った。

「…随分飛んだのぅ…おれに歩いて帰れと言うか」

文句を言いながら、だが、少女は一点へ向かい歩き出す…方角も解らぬ沙漠を、真直ぐに。

「おれは海が愛しいと言うたに、何故あって氷の沙漠と成すか。解らんのぅ」

道々、少女の不平は尽きない。

「ふん、どうせおれは砂の民よ、潮風は似合わんと知っておるわ…喧しい」

やがて、向かう先に大岩が見える…いや、氷の塊だ。その中に、女が1人閉じ込められている。印を結んだまま、呪文を唱える唇もそのままに、眼は宙を見据えている…生き人そのままだ。少女はその氷に指を滑らせる。

「誘うことは罪か…と問うたの。それが何よりの罪と知らぬ事こそが罪よ…この世で最も初めの罪こそが“誘惑”。第二の罪は、誘われて踊ることじゃ」

それは、氷女に向けられた言葉か…?少女は更に呟く。

「…今更、おれに重ねる罪もないがの…」

目を閉じて、息を吐く…その息が白くないのは、何故…?少女は虚空に問い掛ける。

「して、この愚者を如何にする?」

少女は答えを待つ…彼女は独言ちている訳ではない、対話しているのだ。他者に聞こえぬ声、己の内なる天使と…やがて、少女は目を細めた。

「送り返すか。それは一興…待ちゃ」

少女は一歩後退ると、氷塊へと剣を振るう…罅一つ入れることなく表面に刻まれたのは、“サロメ”の名…彼女の署名だ。

「憐れやな…今一度、生きてこの世を見しむるものか」

サロメは氷女に囁く…その声に応じて、氷塊は朧に姿を消した。

「おれを誘惑するなど…身の程を知らぬにも程があろうものを」

サロメは“氷の天使”の第一声と同義の言葉を零す。だが、その意味合いは幾分違ってもいるようだが…後はただ、風が沙漠を抜けるだけ。サロメは天使に語り掛けた。

「何時か、融ければ良いがのぅ…」

更新日:2023-02-11 19:31:43

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