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人混を掻い潜ること暫し、彼女は脇道へ逃れた。人熱れに毒された呼吸を整え、彼女は暗い路地の正面を見据える。そこにある、看板もない店へと踏み入れるや、異臭と怪音に眉を顰めた…これならば、外の方がマシだったかもしれない。奥からの皺枯れ声が、更に不快感を掻き立てる。

「あ~あ~、また来たのかい?スノトラ」
「大層な御言葉ではありませんか、フルダ…今回は貴女の御用でお訪ねしているのですが」

スノトラの返答は、老フルダの機嫌を損ねるに充分だったらしい。

「そうかい…旦那はあたしなんかに構ってる暇はない、ってんだね」
「いえ、滅相もない。私はただ、お迎えに参じたまでの事…」
「オフザケじゃないよ。そんなコトでお前さんが態々動くモンかね」
「いえ…仰る通りです。が、主上の命ではありません…私の一存です」
「へ~ぇ…」

フルダは諦めたように、それでも不満げに鼻を鳴らす。

「そいじゃ、聞かせてもらおうかね」
「何なりと」
「前置きなしで言わしてもらえば、ウチのガキのコトさ。あの馬鹿助、一体何処に行っちまったんだい?何時になったら帰って来るんだい?…仕事についちゃ一切不問、その決め事は弁えてるつもりだがね、何せあんたら直々の頼みってんだから、そんくらい教えてもいいんじゃないかね?」
「それは…どういう…」
「いいかい。確かにあの表六玉は底抜けの昼行灯だ、そりゃあたしが一等良く知ってる。だがね、仮にもあたしが面倒見てるガキだってコト、忘れてもらっちゃ困るってんだよ…そっちゃどういうつもりか知らないけどね、行きっきりなんてコトになってんなら、それなりの覚悟があるんだろうね?」

スノトラは言葉を失っていた。これ程までに激昂したフルダを見るのは初めてだ…それも、まさかあの弟子の事でここまで怒るなど、予想だにしなかった。フルダは鼻息を荒く吐くと、苛立ちはそのままに声音を低くする。

「こんなコト言うのは他でもない…ちょいとばかり、妙な噂を聞ッ込んだからさ。ねぇ、スノトラ、正直に答えておくれ。あのガキが“裁定者”と一緒だってのは、本当なのかい?」
「え…えぇ」
「そうかい…まぁいい、深くは聞かないよ、話が拗れるからね。ただ、どうなってんのかだけ、聞かせとくれ」
「解りました」

スノトラは深く呼吸し、心を静めて話し出した。

「帰省が遅れているのは、情報の行き違いによるものです。彼は無事…現在、無事任務を終了し、報告の為アルカディアに向かっている模様です」
「お待ち。模様、ってのはどういう意味だい?」
「実は…《沼》の情報圏外に出てしまったようで…残念ながら、連絡が取れません」
「…何だって?」
「最終確認は2ヶ月前…キェルクを出て以降、正確な足取りはつかめていませんが、間接情報でアルカディアに向かった事だけは掴みました」
「何やってんだかねぇ、あの頓痴気…《沼》の圏外に出るってのがどういうコトか、全然解っちゃないってのかね」
「恐らく…兎も角、その情報によれば、彼と“裁定者”は共闘関係にあるらしく…我々の仕組んだ事ではありません、悪しからず。両者の生存は確認済みです」
「へ~ぇ…」

フルダはまたも鼻を鳴らした…少し、面白そうに。

「何にしろ情報圏外じゃ仕方がないやね。無事なら良い事にしようじゃないか…ただし、迷惑料はツケといておくれよ」
「前向きに検討させていただきます」
「いや、払ってもらわないと困るねぇ…あたしがこんなコト言い出したってだけで、只事じゃないってのは勘付いてる筈だ」
「只事…とは?」
「ウチのガキと一緒にいるって小僧さ。何でも、首に大枚懸ってるって噂だよ」
「…え…“裁定者”に!?」
「おや、知らなかったのかい?情報通のスノトラさんの名が泣くねぇ」
「一体…誰がそんな話を?」
「あたしの妹…あぁ、上の妹だよ。尤も、あいつが拾ったのも“間接情報”らしいがね。まぁ、直に話があるとすりゃ、下の方だけだろうが…」
「そちらからは、何か?」
「アレがあたしに連絡なんぞ寄越すワキャないだろ。だけど上の話で充分さ、あたしらと違ってあいつは正直だからね。ウチのガキが一緒らしいってのも、あいつの告げ口さ」
「でも…何故…?」
「知るもんか。そんなコトは自分でお調べよ」

(主上…まさか…)

スノトラは愕然とする…そんな話が起こっているとして、《沼》の長がそれを押えていないということは有り得るのか?否。スノトラにだけ隠されていたのか…

更新日:2023-02-04 19:38:53

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