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豊穣の地

再び目を開いた時、そこに広がっていたのは緑に広がる農村の風景だった。灼熱の国イルでは考えられない程、土地は豊潤で、あらゆる作物と牧畜が実っていた。葡萄棚から下がる果実の重みに枝はしなり、黄金色の麦は揃って頭を垂れている。その向うで乞えた牛が幾頭も寝そべり、丘陵では羊が草を食んでいる。風が吹く度に露を帯びた芝が足をくすぐる。農夫たちは作物の詰まった籠を背負い、楽しげに語らっていた。彼らは、一行と擦れ違う時に声を掛けて来た。

「他所の方かね」

イベールが微笑んで頷く。2人の農夫は怪訝そうに顔を見合わせていたが、イベールと友人とを幾度か、見比べる内に、その清廉な姿に打たれたが如く、深く頷きながら言った。

「そうかね、まあ、あまり他所の人なぞ来るような場所ではないでね、宿なんぞありゃせんが、なに、村へ来りゃあ寝場所と食事くらい誰も用意してくれるで。あんたのような方なら喜んでな」
「私のような…?」
「ああ、武器を持ってるようなのは駄目だ」

イベールと農夫たちの会話に、不意にシェマグリグが言葉を挟んだ。

「ここは、随分と豊かな土地のようですが」
「ああ、そりゃあ、土の神様に護られておるでの。わしら、選ばれた者しかここでは暮らせんよ」

そう言って、農夫たちは陽気に去って行った。

イベールは、農夫たちが立ち去ると、先程の微笑などなかったもののように無感動に彼方に目をやった。風に靡く金髪を手で分けながら、イベールは気だるげに芝を踏んでいた。確かに、生まれてより神殿にあって祭儀を勤め、外界を知らないイベールにとっては、そこが大河の恵みに頼るイルであろうと、天水を待ち続ける他ないネフドであろうと、何処にいようと歓喜を呼び起こす程の物はないのかも知れない。…だが、閉め切られた石窟から踏み出して、何も憶えないかのようなイベールの表情に、ナナは、それまでのイベールに長く側仕えて来たからこそ、不審を感ぜずにはいられなかった。…シェマグリグは畦道に立ち、イベールを仰いだ。

「…そろそろ」
「うむ…ここにいても何も始まらぬ」

イベールは農夫たちの行った方へ歩き始めた。ナナも続く。…少し後から、シェマグリグが距離を保って歩いた。

更新日:2022-12-31 17:27:16

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