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黒と赤の死霊団
窓の外を眺めていた相談役が「変な物が見える、あれは絶対この世のものではない」と騒ぎ始めたのでエフ氏は白目を剥ききっただけにとどまらず魂が抜けそうになるほど気落ちしたとき無意識に出てしまう半透明のエクトプラズマあるいはエクトプラズムのようなものを鼻と口からブモウォォと大量に放出させた。霊感のある人間が見たら「この人間は絶対この世のものではない」と騒ぎ出していたかもしれない。幸いなことに客は超常現象が見える体質ではなく、また窓辺の人物に注意が集中していたので、エフ氏の物凄い眼球上転も変な煙も目撃しなかった。
「何が見えたのというのですか?」
客は窓辺の人物に尋ねた。聞かれた相手は首を振った。
「分かりません。銃を構えた黒服の男たちが赤い服の人々を脅して下の通りを行進させている光景が一瞬だけ目に映ったのです。あれが何なのか、分かりません。ですが、あれが死霊の集合体であることは断言できます」
何を根拠に戯けたことを、人の商売の邪魔をするな! とエフ氏は顔をこわばらせ心の中で罵った。霊の姿は見えても人の表情は見えていないようで、暴力シンジケートが派遣した相談役はオカルト話を続けた。
「この近辺には忌まわしい過去があるようです。私は詳しく知りませんが、エフ氏ならご存じかもしれません」
客はエフ氏をじっと見つめた。エフ氏はとっておきの営業スマイルを浮かべた。客は作り笑顔に誤魔化されなかった。
「ここには曰く付きの物件なのですか?」
そう尋ねる客の後ろで相談役が今度は空を見上げている。また何か変なことを言い出す前に、エフ氏は知っていることを話した。
「右派政権時代に左翼と目された者たちが逮捕され処刑されました。この近くに労組の本部がありましたから、この通りを大勢の組合員が連行されていったそうです」
客は深刻な顔付きで考え込んでしまった。死霊は気にならないが商談が潰れて大損するのは死んでも嫌なエフ氏は、客が心変わりしないことを心から願い信じてもいない神に祈る。その視界の端に相談役の横顔が映った。下を向いて欠伸している。
相談役を窓の外へ蹴り落としたい衝動に駆られたエフ氏だったが、どうにか自分を抑える。そして、この役立たずの代わりに別の人間を派遣してくれるよう、組織に要請しようと決意した。この取引がポシャったらエフ氏だけでなく、シンジケートだって困るのだ。
ここ一帯の再開発に投資したものの景気が低迷し買い手が現れず苦境に陥った悪の組織を救う白馬の騎士っぽく登場したのがエフ氏だった。海外の富裕層に売り込むから仲介料を出せとしゃしゃり出たエフ氏を信用できなかった暴力シンジケートは、国際弁護士で世界の不動産ブローカー業に詳しく宅地建物取引士の資格を有する人間を監視役として送り込んだ。
外国人の経済活動に関する規制が多かった昔と比べ改革開放は進んできたが土地取引の自由化は遅れておりエフ氏のような胡散臭い不動産ブローカーが代理人となって契約交渉に臨むケースがしばしば見られた頃の話だ。法律に詳しい監視役を付けるのも道理である。疑われている立場のエフ氏も監視役を素直に受け入れた。暴力組織の相談役は一種のビジネスエリートでなければ務まらない。そういう有能な人物との関係は今後のビジネスを良い方向に導くだろうとエフ氏はほくそ笑んだのである。
今や状況は一変した。これは良い風が吹きそうだ! とエフ氏が喜んだのは遠い昔のように思える。相談役と称する監視人は今のところ何の役にも立っていない……いや、むしろ商売の邪魔でしかない。心霊現象が見られる物件だとアピールする意味を教えて欲しい、とエフ氏は心から思った。目の前の客が買い取りを拒否するか、ここは瑕疵物件だと言い張って値引きを要求したら、目も当てられない。他にも何人か富裕な客を招待し――宿泊費用や豪華なパーティーその他、接待の費用はエフ氏の自腹だ――物件を見せているが好感触が得られていなかった。世界刑事裁判所が制裁対象に指定した国際的な暴力団と取引したがる物好きはいなかったのだ。
この客が逃げるようであればエフ氏は夜逃げも検討しなければならなくなる。そんな怪しい雲行きなので、ありったけの誠意を込めて物件の案内に励んでいたが、とんだオカルト野郎のせいで一切合切おしゃかだ……と落胆していたら客が「買わせていただきます」と言ったものだから大いに驚いた。信じ難いことに「可能であれば全部のブロックを購入したい」と言い出しエフ氏を歓喜雀躍させた……が相談役は「嫌な予感がする」と不安な面持ちである。
相談役を無視してエフ氏は契約を成立させた。相手が邪神を崇める邪教集団であっても気にしない。黒と赤の死霊団が出る土地と建物を買い取った邪教徒たちは、そこを拠点にして布教を開始した――と書いたところで二千字になってしまった。さようなら。
「何が見えたのというのですか?」
客は窓辺の人物に尋ねた。聞かれた相手は首を振った。
「分かりません。銃を構えた黒服の男たちが赤い服の人々を脅して下の通りを行進させている光景が一瞬だけ目に映ったのです。あれが何なのか、分かりません。ですが、あれが死霊の集合体であることは断言できます」
何を根拠に戯けたことを、人の商売の邪魔をするな! とエフ氏は顔をこわばらせ心の中で罵った。霊の姿は見えても人の表情は見えていないようで、暴力シンジケートが派遣した相談役はオカルト話を続けた。
「この近辺には忌まわしい過去があるようです。私は詳しく知りませんが、エフ氏ならご存じかもしれません」
客はエフ氏をじっと見つめた。エフ氏はとっておきの営業スマイルを浮かべた。客は作り笑顔に誤魔化されなかった。
「ここには曰く付きの物件なのですか?」
そう尋ねる客の後ろで相談役が今度は空を見上げている。また何か変なことを言い出す前に、エフ氏は知っていることを話した。
「右派政権時代に左翼と目された者たちが逮捕され処刑されました。この近くに労組の本部がありましたから、この通りを大勢の組合員が連行されていったそうです」
客は深刻な顔付きで考え込んでしまった。死霊は気にならないが商談が潰れて大損するのは死んでも嫌なエフ氏は、客が心変わりしないことを心から願い信じてもいない神に祈る。その視界の端に相談役の横顔が映った。下を向いて欠伸している。
相談役を窓の外へ蹴り落としたい衝動に駆られたエフ氏だったが、どうにか自分を抑える。そして、この役立たずの代わりに別の人間を派遣してくれるよう、組織に要請しようと決意した。この取引がポシャったらエフ氏だけでなく、シンジケートだって困るのだ。
ここ一帯の再開発に投資したものの景気が低迷し買い手が現れず苦境に陥った悪の組織を救う白馬の騎士っぽく登場したのがエフ氏だった。海外の富裕層に売り込むから仲介料を出せとしゃしゃり出たエフ氏を信用できなかった暴力シンジケートは、国際弁護士で世界の不動産ブローカー業に詳しく宅地建物取引士の資格を有する人間を監視役として送り込んだ。
外国人の経済活動に関する規制が多かった昔と比べ改革開放は進んできたが土地取引の自由化は遅れておりエフ氏のような胡散臭い不動産ブローカーが代理人となって契約交渉に臨むケースがしばしば見られた頃の話だ。法律に詳しい監視役を付けるのも道理である。疑われている立場のエフ氏も監視役を素直に受け入れた。暴力組織の相談役は一種のビジネスエリートでなければ務まらない。そういう有能な人物との関係は今後のビジネスを良い方向に導くだろうとエフ氏はほくそ笑んだのである。
今や状況は一変した。これは良い風が吹きそうだ! とエフ氏が喜んだのは遠い昔のように思える。相談役と称する監視人は今のところ何の役にも立っていない……いや、むしろ商売の邪魔でしかない。心霊現象が見られる物件だとアピールする意味を教えて欲しい、とエフ氏は心から思った。目の前の客が買い取りを拒否するか、ここは瑕疵物件だと言い張って値引きを要求したら、目も当てられない。他にも何人か富裕な客を招待し――宿泊費用や豪華なパーティーその他、接待の費用はエフ氏の自腹だ――物件を見せているが好感触が得られていなかった。世界刑事裁判所が制裁対象に指定した国際的な暴力団と取引したがる物好きはいなかったのだ。
この客が逃げるようであればエフ氏は夜逃げも検討しなければならなくなる。そんな怪しい雲行きなので、ありったけの誠意を込めて物件の案内に励んでいたが、とんだオカルト野郎のせいで一切合切おしゃかだ……と落胆していたら客が「買わせていただきます」と言ったものだから大いに驚いた。信じ難いことに「可能であれば全部のブロックを購入したい」と言い出しエフ氏を歓喜雀躍させた……が相談役は「嫌な予感がする」と不安な面持ちである。
相談役を無視してエフ氏は契約を成立させた。相手が邪神を崇める邪教集団であっても気にしない。黒と赤の死霊団が出る土地と建物を買い取った邪教徒たちは、そこを拠点にして布教を開始した――と書いたところで二千字になってしまった。さようなら。
更新日:2022-12-18 21:42:57