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spinelle⑶

…ん?
何か…叫び声が……。
そうか、あれはアスタロトか。
本に戻してやるのを、すっかり失念していた。
「また…私は向こうに……」
行けるか?と言いかけて言葉を呑んだ。
…恐らくは無理だろう。
少なくとも、現時点では。
あの様なアスタロトの奇襲作戦は、一度っきりしか使えない手だろう。
かぶりを振り、不安げに見上げるシアンへ笑ってみせた。
「そもそも、簡単に行けるような所でも無いのです。…あなたが居座っていた頃とは違い、主人が代わり、条件も変わりましたから。」
私が狭間に居座っていた頃、彼処の主は私と言う訳では無く、そこを支配している何者かの存在を感じていた。
ただ…私に対しての情のような物が感じられ、私はそこで存在を許されていたのだ。
無関心とは違う、あれは確かに情だった。
だからこそ、当時の私が居続けたくなったのかも知れない。
そして先程まで居た狭間では、幾らか空間が曖昧な気配になっていた。
前任の主…と言えば良いのか、それが場を支配していたあの頃は、狭間にもっと確固たる存在感があったものだ。
どうやらティファンが主らしいので、そこまで望むのは…とは思うが。
だが、あの全てが許されているかの様な…情どころでは無い、懐の深い愛情しかない気配は、心からティファンらしいと感じた。
そして同時に、簡単に塗り替えられてしまいそうな、繊細な危うさも感じられた。
簡単には行けないとリュークが言ったのは、その辺りが原因なのだろうかと思う。

「先程あちらのお母様が、あなたにワガママを言いなさいと言っては居ましたが、あなたの態度がレイチェルの評価に直結しています。…その事は忘れないように。」
今は、そんな事は言ってやるなとは思うものの、大切な事なのだろう。
その証拠に、シアンは真剣な面持ちで頷いている。
「………あちらのお母様も、とても素晴らしいお方でした。お優しくて…陽だまりの様な……」
シアンは非常に感慨深そうにしている。
今は、そっとして置いてやろう。
世の中には知らない方が良い事もある。
幼い甥っ子の夢を、態々無惨に壊す必要も無いだろう。
「ですが…」
幾らか口籠るシアンに、無言で続きを促す。
「やはりお母様…こちらのお母様は、もっと自信を持って良いのだと思いました。」
珍しく軽く吹き出すリュークに、こちらも思わずつられる。
「……そうですね、あなたのおっしゃる通りだと思います。」
「…そうだな。……そんな感じで、シアン、お前は自分の意見を言っていけ。」
シアンは目を輝かせ「はい!」と元気良く返事をした。

更新日:2022-12-01 17:44:23

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