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青木 繁

挿絵 500*192

明治期の日本絵画のロマン主義的傾向を代表する画家であり、代表作『海の幸』はその記念碑的作品と評され、重要文化財となっている。

青木繁は福岡県久留米市で、旧久留米藩士の長男として生まれた。
1899年(明治32年)、満16歳の時に中学明善校(現福岡県立明善高校)の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾「不同舎」に入って主宰者の小山正太郎に師事した。1900年(明治33年)、東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受けた。

1904年(明治37年)夏、美術学校を卒業したばかりの青木は、千葉県南部の布良に滞在した。代表作『海の幸』はこの時描かれたものである。
画家としては天才と言われた青木であったが、父亡き後の家や妻子を支える才はなく、家族と衝突の末に1908年(明治41年)10月、郷里を離れて天草、佐賀など九州各地を放浪する生活に入った。

持病の肺結核が悪化して心身共に衰弱し、1911年(明治44年)3月、福岡市の病院で死去した。享年28の若さであった。

芸能人であったハナ肇とクレージーキャッツの元メンバーで料理研究家の石橋エータローは青木の孫にあたる。

更新日:2022-09-14 19:00:47

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