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近藤勇

挿絵 320*374

近藤勇は、世によく知られた江戸時代末期の武士で、新選組局長であった。
天保5年(1834年)、現在の調布市に百姓の三男として生まれた。嘉永元年(1848年)、江戸牛込(新宿区)に所在する天然理心流剣術道場・試衛場に入門する。
万延2年(1861年)府中六所宮にて、天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い、流派一門の宗家を継いだ。

京都守護職を務める会津藩主・松平容保は幕府老中から京都の治安維持のため浪士を差配することを命じられ、将軍在京中の市中警護を担う「壬生浪士組」が結成された。働きぶりが認められ、武家伝奏より「新選組(新撰組)」の隊名を下賜された。

池田屋事件や禁門の変を経て、慶応4年(明治元年、1868年)1月3日には旧幕府軍と新政府軍の間で鳥羽・伏見の戦いが勃発する。敗れた新選組は、幕府軍艦で江戸に戻る。
4月には千葉県流山市に屯集す新政府軍は流山に集結した新選組が背後を襲う計画を知り、4月3日には近藤を捕縛する。近藤を知る者が政府軍側におり、そのため総督府が置かれた板橋宿まで連行される。

慶応4年4月25日(1868年5月17日)、中仙道板橋宿近くの板橋刑場で斬首された。享年35(満33歳没)。首は京都の三条河原で梟首された。
明治維新という歴史の大きな転換点の前に、近藤は役割を終えたかのようにこの世を去った。

更新日:2022-09-03 10:18:39

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