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北条時宗

挿絵 640*360

北条時宗は、鎌倉幕府第8代執権(在職1268年-1284年)。
鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国の2度に元寇を退けた。
弘安7年(1284年)4月4日死没。享年34、満32歳の若さであった。

文永11年(1274年)、元軍が日本に襲来した文永の役では激戦の末に元軍の内陸部への進撃を阻止した。翌年、降伏を勧める使節・杜世忠らが来日すると、鎌倉で引見し、北条義政の反対を押し切って処刑した。
弘安2年(1279年)に来日した周福ら使節団も、大宰府で処刑させた。

弘安4年(1281年)の弘安の役では、元軍は2ヶ月近くの戦闘で日本軍の抵抗に苦戦した末に台風を受けて混乱し、さらに日本軍の総攻撃により壊滅した。

北条時宗は弘安7年(1284年)には病床にあったとされる。自身の死期を悟ったのか4月4日には出家し、同日に34歳(満32歳)で逝去。自らが開いた鎌倉山ノ内の瑞鹿山円覚寺に葬られた。死因は結核とも心臓病とも云われる。

時宗の生涯は、まるで「元寇」という未曾有の国難を救うために天から使わされたような人物であった。それを全うすると天に召された。

更新日:2022-09-02 20:40:05

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