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山本五十六

挿絵 255*327

山本五十六は太平洋戦争の開戦時における、海軍の連合艦隊司令長官であった。ハワイの真珠湾攻撃を立案・指揮したことで知られる。
真珠湾攻撃はアメリカ軍の太平洋艦隊の戦艦などの主力戦力に壊滅的な打撃を加えたが、攻撃時に湾内にいなかった空母群を撃ち漏らし、後のミッドウェー作戦の大敗北に繋がって行く。

山本は海軍武官としてアメリカに駐在した経験があり、日本との工業生産力の違いを目の当たりにしていた。だから開戦早期に敵に大打撃を与え、早期に有利な講和に導入するのが目的であった。
結果的には出撃した四隻の空母を撃沈させられる大敗北を喫したミッドウェー作戦も、敵空母群を誘い出して撃滅するのが目的であったが、事前に暗号が解読されて待ち伏せされるなどの理由で成功しなかった。

山本は開戦前から長期の持久戦は持たないとの持論を持っていた。日米開戦を回避出来るように補佐する事を要望していた。
1943年(昭和18年)、い号作戦終了後、山本は前線航空基地の将兵の労をねぎらうため、ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地を経て、ショートランド島の近くにあるバラレ島基地に赴く予定を立てた。

4月18日午前6時、山本を含めた連合艦隊司令部は第七〇五航空隊の一式陸上攻撃機2機に分乗してラバウル基地を発進した。
この視察の電信は、またも事前にアメリカ軍に暗号を解読され、ブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊のP-38ライトニング16機に襲撃・撃墜され戦死した。

6月5日に日比谷公園で国葬が行われた。皇族・華族ではない平民が国葬にされた初の人物である。
山本の死去の時点では、日本軍と連合国軍は各地で一進一退の戦いを続けており、相次ぐ大敗北を見ずに戦死してかえって幸せだったとする意見もある。
もし終戦時に健在ならば東京裁判で戦犯として裁かれていた可能性を指摘している。

更新日:2022-09-09 21:32:46

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