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源義経

挿絵 401*480

鎌倉幕府を開いた源頼朝の実弟であり、平家を滅亡に追い込んだ立役者でありながら、その後に頼朝に無断で後白河法皇より任官されるなどの問題から不興を被り、奥州に落ち延びる際に若くして滅ぼされた。その華々しい生涯から、「判官贔屓」という言葉が生まれ、日本の歴史に残るヒーローのひとりである。

兄の頼朝は長年の流人暮らしから人一倍に猜疑心が強く、血を分けた兄弟の義経だけでなく、複数の親族や豪族を滅ぼしている。
義経を死に追い込んだ奥州の藤原氏も、その後に謀反の疑いを理由に討伐されて滅んだ。頼朝は自分に敵対する疑いのある人物は決して許さない冷酷な独裁者であった。

父義朝の六男で、弟の義経と共に木曽義仲の追討・一ノ谷の戦い・壇ノ浦の戦いで活躍した源範頼は、1193年(建久4年)に頼朝が催した富士裾野の巻狩りの際に起こった曽我兄弟の仇討ちをきっかけに失脚。伊豆の修禅寺に幽閉された後、梶原景時に攻められ自刃したと伝わる。

義経は、まるで平家を滅亡させるために天から遣わされたような人物であった。それを達成すると、すぐにこの世を去った。天命を完遂したからのようである。

更新日:2022-09-03 08:04:57

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