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08 姉のアトリエ

 森林は、ホノオにとって美術デッサンのモチーフの宝庫。子供の頃から森を散策し、多くの樹々や虫、鳥、獣をホノオは描写していた。
 その無数のデッサンが、姉のアトリエの壁に無造作に貼られていた。
 
 ヨウ姉さんにとって、ホノオとは義理の弟であり、美術の大切な教え子である。
 だから、彼が今では長身のイケメンで、隣街の不良と平気で喧嘩をし、周りからは一目置かれている不良学生だとしても、ただ身体のでかい純真な男の子そのもののように思っていた。

「それで、ヨウ姉さん。この絵ホノオさんが描いてくれたんですよ。なかなかいいでしょ?」

 シノは無邪気そうに得意満面な笑顔で薦めて来た。
 ホノオの絵を熟知するヨウ姉さんは、黙って受け取ると、その絵をじっと見る。
 
 ふむ。久しぶりだな。ホノオがちゃんと女の子の絵を描くことができたのは。

 彼女は、自分のせいで弟がスランプに陥ったことに、特に悪いことをしたというつもりはない。そもそも、あれはお互い同意の上であったし、無理やりというワケではなかった。

 ホノオをちらりと見ると、ショウタと共にシノの話を聞いている様子。

「キミはいい子だね」

 ニッコリとヨウ姉さんはシノに笑いかけたのだけど、

「お姉さんは、今はまるで抜け殻のようですね」

 えっ? 今この子何て言った? 

 ハッとしてシノの顔をじっと見ると、変わらず愛くるしい笑顔を向けているんだけど。

「美大の特待生だったんですよね? そんなアナタがホノオさんの才能に嫉妬して手を出した。それで、全てを失って今どんな気分ですか?」

 ヨウ姉さんは、シノが感情むき出しで自分に絡んで来ているのだと理解すると、

「とぉ~ってもいい気分よ。我が生涯に一片の悔いなし、って感じかな。それに、ホノオはまたちゃんと描けるようになったから嬉しいな。ありがとうねシノちゃん。ホンとにキミはいい子だね」

 菩薩のような笑みを浮かべ、落ち着いた妙齢の女性の雰囲気を漂わせている。

「そういうこと言う大人は嫌いですね。実は私ね、『恋愛許可』持ちなんです。これからホノオさんに猛アタックしますけど、邪魔しないでくれますよね、お姉さん?」

 シノもニッコリ笑顔で返して来る。

「キミ達の未来世界では、『恋愛』に現を抜かすヤカラのことを角の生えたサルって揶揄するんだったっけ? でもね、『恋愛』行為に悩み苦しむのは、我々芸術家にとって、とても大切な行いなんだよ。それがシノちゃんだけでなくホノオにも齎されるというのであれば、私は心からキミ達を応援したいなぁと思うよ」

 女性陣はこのやり取りを互いに笑顔でこなしているのだけれど、矢面に立つホノオは、内心ハラハラである。

「ねぇ、オレの立場は?」

「ないよ。大体女同士の話に男は立ち入るな、介入するな、黙ってろっ!」

 姉の言葉に、ホノオは長身をくの字に曲げて、ア痛タタタって具合に頭を抱えた。

更新日:2022-08-26 13:48:24

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