- 1 / 98 ページ
01 バルボラの天使
これは、皇暦2026年初秋の出来事。
英霊広場一帯はバルボラの天使が帰還するとあって、ひと目見ようと集まった群衆で溢れ返っていた。
今は戦時体制真っただ中である。
何年も世界戦争が続いていて、これまでに多くの人々が亡くなって来た。
それで人々は長く続く戦争にウンザリして、終戦の日だけを心待ちにしていたのである。
バルボラの天使なら、きっとこの戦争を終わらせてくれるはず!
人々は天使達の働きぶりに縋りつつ、先の見えない世界に生きている。
それで今回はその最有力候補が帰還したとあって、人々の熱狂ぶりはピークに達していたのであった。
群衆は喉も枯れんばかりに彼女の名を連呼する。
四谷シノ。
弱冠16歳にしてバルボラ機関きっての選りすぐりのエリート。
すらりとした手足にメリハリの利いた肢体。黒い長髪に透き通るように白い柔肌。
それに、何と言っても彼女の目の覚めるような美麗で陽気な目鼻立ちは、この世のヒトの身体を借りた、まるで異次元の美天使そのもののように思われた。
シノは熱狂する群衆の期待を背に、頬を紅潮させて演台に立つ。
ふふふっ! 私ってば、すっごく注目されてるっ!
彼女は大事そうに抱えていた絵画にちらりと目をやった。
その作品は、138年前の南フランスで入手し持ち帰った、数本のひまわりを花瓶に活けたモチーフの油彩画である。
シノは高い壇上におわします皇帝アポロを眩しそうに見上げると、深く息を吸ってその絵画を頭上高く掲げるや、朗々と響き渡る声で以下のように口上を述べたのである。
「アポロ様、アイコンですっ! これで私たちは無益な戦争から救われるでしょうっ!」
その瞬間地鳴りのように歓声が沸き起こり、広場はまさしく興奮の坩堝と化して行くのであった。
* *
数10秒間群衆の歓声に耳を傾けた後、漸く皇帝が片手を上げて制し、広場はまるで誰もいないかのように静まり返った。
シノの所属するバルボラ機関は、過去世界の美術家、音楽家、戯曲家の許にタイムトリップし、身の回りの世話をしながら作品作りのお手伝いをする。
それで対象者と信頼関係を築き、その傑作を持ち帰るというお仕事である。
そして、その無数の戦利品の中にアイコンと呼ばれる秘宝があるとされている。
アイコンとは何か?
皇帝アポロの言によれば、アイコンとは、長らく続いている世界戦争を終わらせるキーファクターであるという。
シノはこれまでに何度も過去世界に渡り、多くの絵描き達と信頼関係を築いて来た。
彼女自身陽気で人懐っこいから、対象者から好かれ易い性格だという自負もあった。
でも、今回の対象者とはどうやら相性が悪かったようで。
単なるコミュニケーション不足なのかもしれないけれど、まぁ有体に言えば、対象者が女嫌いなんだから仕方ないよね、と彼女は認識していたのである。
とはいえ、作品は本人からではなく対象者の知人から何とか入手することはできた。
これまで順調に多くの戦果を挙げて来たからこそ、今回も上手く行くし大丈夫。
シノはそう高を括っていたのだけれど。
「このうつけ者がっ! これは次元断面の贋作だっ! オマエは自らの行いで過去改変を起こしてしまったワケだが、どう責任を取るつもりだっ?」
突然の、皇帝アポロによる極めて厳しい口調での叱責。
彼女は生唾をごくりと飲み込んだ。
任務に就いて以来、最初にして最大のミス。全ては慢心した故の結果であった。
それで、自身の失態に血の気が引き、全身の血が抜けるかのような感覚に襲われている。
そんな彼女の不安は瞬く間に人々に伝染し、広場は不穏な空気に包まれて行く。その後には、彼女にとって最悪のケースが手ぐすねを引いて待ち構えていたのである。
群衆の一部が、怒り満面の顔で演台にまでせり上って来る。
待って! ちょっと皆落ち着いてっ! 私の言い分をちゃんと聞いてよっ!
群衆は彼女の髪や腕、足をむんずと掴んで奈落に引きずり下ろすと、そのまま地面にガッと組み伏せてしまう。
堪らず彼女は叫び声を上げて涙交じりに抗うのだけれど、両手両足の自由を奪われ、両頬まで掴まれると、無理やりに毒の入ったカプセルを飲み込まされてしまったのである。
英霊広場一帯はバルボラの天使が帰還するとあって、ひと目見ようと集まった群衆で溢れ返っていた。
今は戦時体制真っただ中である。
何年も世界戦争が続いていて、これまでに多くの人々が亡くなって来た。
それで人々は長く続く戦争にウンザリして、終戦の日だけを心待ちにしていたのである。
バルボラの天使なら、きっとこの戦争を終わらせてくれるはず!
人々は天使達の働きぶりに縋りつつ、先の見えない世界に生きている。
それで今回はその最有力候補が帰還したとあって、人々の熱狂ぶりはピークに達していたのであった。
群衆は喉も枯れんばかりに彼女の名を連呼する。
四谷シノ。
弱冠16歳にしてバルボラ機関きっての選りすぐりのエリート。
すらりとした手足にメリハリの利いた肢体。黒い長髪に透き通るように白い柔肌。
それに、何と言っても彼女の目の覚めるような美麗で陽気な目鼻立ちは、この世のヒトの身体を借りた、まるで異次元の美天使そのもののように思われた。
シノは熱狂する群衆の期待を背に、頬を紅潮させて演台に立つ。
ふふふっ! 私ってば、すっごく注目されてるっ!
彼女は大事そうに抱えていた絵画にちらりと目をやった。
その作品は、138年前の南フランスで入手し持ち帰った、数本のひまわりを花瓶に活けたモチーフの油彩画である。
シノは高い壇上におわします皇帝アポロを眩しそうに見上げると、深く息を吸ってその絵画を頭上高く掲げるや、朗々と響き渡る声で以下のように口上を述べたのである。
「アポロ様、アイコンですっ! これで私たちは無益な戦争から救われるでしょうっ!」
その瞬間地鳴りのように歓声が沸き起こり、広場はまさしく興奮の坩堝と化して行くのであった。
* *
数10秒間群衆の歓声に耳を傾けた後、漸く皇帝が片手を上げて制し、広場はまるで誰もいないかのように静まり返った。
シノの所属するバルボラ機関は、過去世界の美術家、音楽家、戯曲家の許にタイムトリップし、身の回りの世話をしながら作品作りのお手伝いをする。
それで対象者と信頼関係を築き、その傑作を持ち帰るというお仕事である。
そして、その無数の戦利品の中にアイコンと呼ばれる秘宝があるとされている。
アイコンとは何か?
皇帝アポロの言によれば、アイコンとは、長らく続いている世界戦争を終わらせるキーファクターであるという。
シノはこれまでに何度も過去世界に渡り、多くの絵描き達と信頼関係を築いて来た。
彼女自身陽気で人懐っこいから、対象者から好かれ易い性格だという自負もあった。
でも、今回の対象者とはどうやら相性が悪かったようで。
単なるコミュニケーション不足なのかもしれないけれど、まぁ有体に言えば、対象者が女嫌いなんだから仕方ないよね、と彼女は認識していたのである。
とはいえ、作品は本人からではなく対象者の知人から何とか入手することはできた。
これまで順調に多くの戦果を挙げて来たからこそ、今回も上手く行くし大丈夫。
シノはそう高を括っていたのだけれど。
「このうつけ者がっ! これは次元断面の贋作だっ! オマエは自らの行いで過去改変を起こしてしまったワケだが、どう責任を取るつもりだっ?」
突然の、皇帝アポロによる極めて厳しい口調での叱責。
彼女は生唾をごくりと飲み込んだ。
任務に就いて以来、最初にして最大のミス。全ては慢心した故の結果であった。
それで、自身の失態に血の気が引き、全身の血が抜けるかのような感覚に襲われている。
そんな彼女の不安は瞬く間に人々に伝染し、広場は不穏な空気に包まれて行く。その後には、彼女にとって最悪のケースが手ぐすねを引いて待ち構えていたのである。
群衆の一部が、怒り満面の顔で演台にまでせり上って来る。
待って! ちょっと皆落ち着いてっ! 私の言い分をちゃんと聞いてよっ!
群衆は彼女の髪や腕、足をむんずと掴んで奈落に引きずり下ろすと、そのまま地面にガッと組み伏せてしまう。
堪らず彼女は叫び声を上げて涙交じりに抗うのだけれど、両手両足の自由を奪われ、両頬まで掴まれると、無理やりに毒の入ったカプセルを飲み込まされてしまったのである。
更新日:2022-08-25 19:45:14