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 さて、お玉は思えば肉親の情の薄い少女であった。
 父親(?)の野菜売り仁右衛門は、ひたむきで実直な男だった。おくるが方々で男に色目を使っている間にも、それを知ってか知らずか、幼い玉の子守りをしながらけんめいに働いた。ところが玉がようやく一歳になるかならないかの頃、屋敷が火事で焼けてしまう。
「中にはあの人と玉が!」
 野次馬が騒ぎたてる中、たまたまその場に居合わせたおくるは、錯乱寸前となった。しかし仁右衛門は、炎の中から赤子を抱いて姿を現した。
 玉は大事なかったが、よほど赤子をかばったのか仁右衛門は、背中に大火傷を負っていた。結局この火傷が原因で、仁右衛門は命を落とすこととなる。
「玉がさえ無事なら俺はどうなってもかまわないさ……」
 死を目前にして、仁右衛門はおくるの手を握りながらいう。
「最後に一つだけ聞かせてくれ。玉は本当に俺の子か?」
 おくるはしばし沈黙した後、涙ながらに頷いた。
「そうか……おまえにはつらい思いをさせた。玉のことは頼んだぞ」
 ほどなく仁右衛門は四十二年の生涯を閉じた。

 屋敷と仁右衛門を失ったおくるは、本庄太郎兵衛の屋敷に転がりこむ。すでに太郎兵衛の先妻は他界しており、ほどなくおくるが太郎兵衛の本妻におさまる。太郎兵衛には先妻との間に数人子供があったが、それら全てがおくるより年長だった。
 お玉にとり幼少時代の記憶は漠然としていた。
 恐らく三歳ほどの頃のことである。玉はおくるの実家である西陣に、母親と一緒に赴いたことがあった。ところが母親がすこし目は離したすきに、玉は迷子になってしまう。涙ながらに、ふらふらと知らぬ土地をさまようお玉。すると背後から声がした。
「お玉、お前はお玉じゃないか」
 それはかって、おくると愛人関係にあったあの若い舎人であった。舎人はお玉を抱えあげると、懸命にあやしはじめた。一旦泣きやんだお玉であったが、間近で舎人の顔を見ると、あれいは父親であるとも知らず再び泣き出す。
 その後の記憶は極めて曖昧だった。気がつくと玉はどこぞの屋敷で寝ていた。目を覚ましたのは、隣りの部屋で男女が言い争う声を聞いたからだった。
「おまえがしっかり見張っておらんから、あないなことになったんや! またどこぞの男にみとれておったんやろ!」
 男の声である。玉は襖ごしにその光景を目撃した。おくるはかすかに目に涙をためていた。
「なあ! 正直に教えてくれ、お玉は、本当は誰の子なんや!」
 おくるの胸をつかんで迫る舎人に対し、おくるもまた声を荒げた。
「うちかてわからへん!」
 するとびしっと、平手打ちがおくるの美しい顔にとんだ。そして、右手をおくるの着物ごしに股の下へと差し入れた。
「なにをしなはる!」
「ここや! おまえのここが悪いんや!」
「やめなはれ! 人が来たらどないするん!」
「今日はおまえとわての他にだれもおらん。この狐め! 今日こそは成敗してくれる!」
 そのまま舎人は、おくるをその場に押したおした。玉はあまりにことに思わず目をそむけた。やがて尋常一様ではない、おくるの唸る声が聞こえてくる。母親の唸り声に、玉は目だけでなく耳もふさいた。

 玉の三つ年上の姉こんは、生まれて間もなく母親の実家に預けられたが、五歳の時に本庄太郎兵衛の屋敷に引き取られた。西陣の機織りの家から、貴族の家人の屋敷へと生活環境が大きく変わったわけである。
 玉にとってこの姉の記憶もまた、決して印象に残るものではなかった。かすかではあるが一緒にカルタをしたこと、ささいなことで喧嘩したことなどを覚えていたくらいである。しかし七つ、八つ、九つと年を経るにしたがい、この姉にはもしかしたら玉と自分は父親が違うかもしれないということが、周りの人間の様子から薄々わかりはじめた。
 自分は青物売り仁右衛門の娘。しかし玉は、太郎兵衛かあれいはいずこに父があるかもわからない。それを知ってから、こんは、ろくに玉と口をきくこともなくなかった。そして十の時、他家へ奉公に赴くこととなる。
 別れの夜、こんは密かに玉の寝所の襖を開けた。
「例え父が違おうと、わてらは兄弟や。またいつか機会があったら会おうな」
 その言葉を玉は聞いたかどうかはわからない。こんはこの後、公卿日野家に奉公に赴き、同じ家の家人と夫婦になり二人の子をもうける。しかし玉との再会はこれより六十数年のはるか後、江戸城三の丸でのことだった。
 

 
 

 
 
 
 

更新日:2022-08-09 19:16:43

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