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【第二章】将軍家光の迷い

 万と将軍は、もう長い間関係をもっていなかった。万の体調が元どおりになったかと思うと、今度は生来病弱な将軍のほうが病で寝こんでしまう。
 ようやく年の暮れになって、二人はおよそ二月ぶりに寝床を共にする。久方ぶりなだけに、その夜は今までになく激しいものとなった。すべてが終わるころには将軍は荒い息づかいに、眼光は虚空をさまよい、精神もまたあらぬ方向をさまよっているかのごとき有様となった。そして万は将軍の上におおいかぶさる。
「ご案じめされるな。今宵は蛇は現れませぬ。ゆっくりとお休みあれ」
 と将軍の耳元で、少し底意地の悪い目をしていった。
「殿方が側室をもたれるのは仕方ござりませぬ。なれど私をないがしろにしたら、その時はゆるしませぬぞ」
 と万は、将軍の太もものあたりを軽くつねりながらいった。
 
 しかし将軍は、本心では側室との関係で苦悩していた。すでに春日局と将軍の間には秘密事があった。
 春日局が恐れていたのは、お万の背後にある六條家の力であった。都の公家の力が将軍家に及んでくるのは、どうしてもさけたかった。そのため万の食事には、常に堕胎薬が入れられていたという。万がそれを知って、ついに激怒するのは、はるか後になってからだった。
 さすがの将軍も、あまりに非人道的であるため最初は反対した。しかし所詮将軍は、春日局のいうことには逆らえなかったのである。
 さりとて一旦万と再び関係をもってしまうと、再び蘭を夜の相手として指名する気にはならなかった。こうして蘭は遠ざけられてしまう。

 やがて年が明け寛永十八年(一六四一)の正月がやってきた。
 大奥の元旦の行事で「おさざれ石の儀」なるものがある。御台所が、将軍に謁見する前におこなった清めの儀式である。
 これは本来なら、御台所と中臈代表の二人でおこなうものである。しかし今年は将軍の名ばかりの御台所である鷹司孝子が、病気を理由に辞退。万が御台所の代理となり、中臈代表は蘭だった。
 御座所廊下に毛氈を敷き、中央に石が三個おかれる。まず中臈の代表である蘭が、
「君が代は千代に八千代にさざれ石の」
 と唱える。その後は万が、
「巌となりて苔のむすまで」
 と結ぶのである。その後、蘭が万の手に水を注いで清める。
 君が代は古今和歌集にルーツを持つという。そして言うまでもないかもしれないが、明治以後日本国の国歌となるわけである。

 この後、二人は将軍に拝謁する。そして他のお目見え以上の女中たちにも、将軍から餅や料理が配られた。
 一方、お目見え以下の女中たちにも、正月は楽しみがいくつかあった。その中に、お目見え以下の女中たちが二つ組をつくり、互いに雪玉を投げ合うというものがあった。早い話しが雪合戦である。
 粗末な木綿の衣装をした御末にまじって、玉の姿もあった。もとより気性の強い彼女である。普段は表向きだけでもおしとやかにふるまってはいるが、この時ばかりはおおいに闘争心をむきだしにした。
 だが玉にはわからないことが一つあった。それは周囲を手をつないで取り囲み円をつくっている、黒頭巾をした男たちだった。彼らは一体何者なのか?
 江戸城大奥は女の園とはいえ、まったく男が存在しなかったわけではない。大奥はだいたい御殿向、御広敷向、長局の三つにわかれる。御広敷はいわば大奥管理事務所で、男性の役人は平時はここで勤務している。
 黒頭巾をした男たちは、戦国の世に伊賀者といわれた者たちで、俗にいう「忍び」であった。忍びはもちろん敵の領地への侵入、敵のかく乱、場合によっては暗殺業務を請け負う、いわば特殊部隊である。
 戦国の世にはおおいに重宝された彼らであったが、天下泰平の世ともなると、さしもの忍びも半ば用済みである。そのためこのようなつまらないことまで、引き受けざるをえなかったわけである。最も、だからといって本来の任務を、まったく放棄したわけではなかった……。
 
 正月の将軍は忙しい。諸大名の応接、朝廷の勅使を迎えての様々な儀礼等スケジュール満載である。それも一段落すると、家康の眠る日光東照宮へ、大勢の供を連れて参詣におもむいた。



 
 
 

 


 


 
 


更新日:2023-03-29 11:30:02

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