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 目覚めると、靄のような曇り空。水滴に濡れた窓ガラスを、ぼんやりとした光が透いて、あらゆる物を錆び付かせて見せる。松田勇治は半身を起こし、外の景色に目をやった。
 出署初日。刑事に昇進した一日目の朝。気温は少し肌寒い。
 こんな日はもう珍しくない。大気汚染は年々深刻化し、雨と曇りの日は増え続けている。松田が住んでいるこのマンションの窓からも、白い煤煙を吐き出すガス処理施設の煙突が見える。世界に冠たるK工業地帯だ。
 裸の千恵を起こさないように立ち上がり、背広に着替えて警察手帳を確認すると、松田は拳銃を装着する。拳銃。今や警察手帳と同じく、警察官の必携アイテムだ。
 部屋を出て勤務地に向かう。ダンボールを羽織るホームレス。朝帰りの娼婦。遊ぶ子供たちは学校には向かわない。世界は変わらずいつも通り。
 K警察署。新築されたばかりの建物はピカピカだ。この緊縮財政の荒波の中で、良くもまあ建て替えられたものだと思う。この辺りには昔ながらの土建ヤクザが多いと聞くが、関係は不明だ。
 署に入って直ぐ一階の署長室の扉をノックする。
 「どうぞ~。お入り~」
 中から愛想の良さそうな中年男性の声が答えた。
 立派な樫の扉を開け、中に入ると、K警察署署長の御手洗謙介がデスクから立ち上がった。
 「君が新任の松田君だね?」
 「はっ! 本日付けでK警察署の所属になりました、松田勇治巡査長であります!」
 御手洗署長は品定めでもするように、松田の頭から爪先まで視線を上下させる。
 「ふ~ん……まぁなるほどね」
 御手洗署長は一人納得してコクりと頷いた。
 この署長とは今日初めて会う。ひょっとこみたいな赤ら顔。髪は黒々と薄い。瞳はいかにも愛嬌良さげに輝いている。
 急増する犯罪率に対して、刑事は慢性的な人手不足。そのため政府は採用試験の難易度を下げ、手柄を立てた者を簡易的に昇進させることにした。昔は刑事になるには本署とのコネと、選抜試験の合格が必要だったが、今は優秀だが人付き合いや勉強が苦手な警官を、犯罪多発地区に投入するために、そんな手順は省略される。現場の刑事に気に入られ、所長推薦を貰わなければ刑事になれないというシステムが、いかに腐敗した組織にとって都合が良いか、ようやく国も認識したわけだ。
 「まっ、頑張ってね! 君は相当タフな警官だって聞いてるから。きっとたくさん手柄を立ててくれるんだろうね。期待してるよ!」
 御手洗署長は輝くような満面の笑みを浮かべ、心から激励しているかのような声を出した。
 「はっ! 期待に応えられるよう、粉骨砕身の覚悟で職務に掛かる所存であります!」
 警察学校で覚え込まされた大仰な単語が、自然と口から吐いて出る。いかに自らのやる気を大声で伝えられるかが、教官に評価されるためのコツだ。
 「じゃあ君が送られた刑事二課は2階に上がって右手奥だから。よろしくね」
 御手洗署長のニンマリ顔を後に残して部屋を辞すると、階段で2階に上がる。上がって目の前が捜査一課。廊下を右に曲がった突き当たりに捜査二課がある。

更新日:2022-07-03 14:18:15

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