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国産軍艦の登場

挿絵 318*159

1873年、帝国海軍初の国産軍艦である清輝(排水量897トン)が横須賀造船所で起工され、1876年に竣工した。国内の造船所では1000トン程度の艦艇の建造がせいぜいであったため、1875年には海軍大臣川村純義の発案が採用され、イギリスに装甲艦扶桑(常備排水量3,717トン)および金剛型コルベット(常備排水量2,250トン)2隻が発注された。これら3隻は1878年に就役し、初期の帝国海軍の主力艦となった。

3隻の設計から日本回航までエドワード・ジェームス・リードに一任され、建艦費用は3隻合計で312万円であったが、1875年の海軍費用352万円の9割近くに相当した。しかし、増強を続ける清国海軍が1885年に定遠級戦艦(常備排水量7,144トン、30.5 cm砲4門)2隻を就役させると、清国に対する海軍力の優越性は失われてしまった。

他方、1883年から大型装甲艦の建造を含む帝国海軍初の長期軍拡計画が開始されていたが方針が固まらず、防護巡洋艦3隻(浪速型(常備排水量3,709トン)2隻と畝傍(常備排水量3,615トン)。畝傍は回航中に行方不明となったため、代艦として千代田(常備排水量2,439トン)を建造)が発注されたにとどまっていた。

更新日:2022-07-03 10:09:21

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