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黄海海戦(対清国)
黄海海戦は、1894年(明治27年)9月17日に日本の連合艦隊と清国海軍北洋艦隊の間で戦われた海戦。代的な装甲艦(定遠・鎮遠)が投入された最初の戦いとしても知られる。この海戦の結果、清国海軍は大損害を受けて制海権を失い、無力化された。
連合艦隊は第一遊撃隊、本隊の順にそれぞれ単縦陣を構成し、10隻中6隻が中口径速射砲(合計で12 cm速射砲60門、15.2 cm速射砲8門)を装備し、8インチ以上の大口径砲は合計11門、中口径通常砲が合計16門であった。
対する北洋艦隊は定遠・鎮遠を中央に10隻が横陣を敷き、8インチ以上の大口径砲は合計24門と連合艦隊を上回っていたが、中口径速射砲は装備しておらず、中口径通常砲も合計28門にすぎなかった。北洋艦隊は日本艦隊を正面に見つつ砲撃、機会を捉えて衝角攻撃を実施する作戦であった。
速射砲の威力は大きく、北洋艦隊は記録のある5隻だけでも被弾数729発、対する連合艦隊は遊撃隊4隻・26発、本隊6隻・66発で、意図せず戦闘に巻き込まれた赤城が30発、西京丸が12 発の合計134発に過ぎなかった。
多数の命中弾を受けた超勇は沈没、揚威も大破・座礁した。旗艦・定遠は信号マストが折れたため、それ以降北洋艦隊は艦隊行動がとれず、各艦が個別に戦闘することとなった。北洋艦隊最左翼にあった済遠と広甲は戦場から逃走、このため最左翼となった致遠は猛射を受けて大損害を受けながらも、衝角攻撃のため吉野に突撃を敢行したが沈没した。
残った3隻の巡洋艦は戦場から離脱を試みるが、遊撃隊はこれを追跡、経遠を撃沈した。
連合艦隊は第一遊撃隊、本隊の順にそれぞれ単縦陣を構成し、10隻中6隻が中口径速射砲(合計で12 cm速射砲60門、15.2 cm速射砲8門)を装備し、8インチ以上の大口径砲は合計11門、中口径通常砲が合計16門であった。
対する北洋艦隊は定遠・鎮遠を中央に10隻が横陣を敷き、8インチ以上の大口径砲は合計24門と連合艦隊を上回っていたが、中口径速射砲は装備しておらず、中口径通常砲も合計28門にすぎなかった。北洋艦隊は日本艦隊を正面に見つつ砲撃、機会を捉えて衝角攻撃を実施する作戦であった。
速射砲の威力は大きく、北洋艦隊は記録のある5隻だけでも被弾数729発、対する連合艦隊は遊撃隊4隻・26発、本隊6隻・66発で、意図せず戦闘に巻き込まれた赤城が30発、西京丸が12 発の合計134発に過ぎなかった。
多数の命中弾を受けた超勇は沈没、揚威も大破・座礁した。旗艦・定遠は信号マストが折れたため、それ以降北洋艦隊は艦隊行動がとれず、各艦が個別に戦闘することとなった。北洋艦隊最左翼にあった済遠と広甲は戦場から逃走、このため最左翼となった致遠は猛射を受けて大損害を受けながらも、衝角攻撃のため吉野に突撃を敢行したが沈没した。
残った3隻の巡洋艦は戦場から離脱を試みるが、遊撃隊はこれを追跡、経遠を撃沈した。
更新日:2022-07-05 10:52:48