- 2 / 63 ページ
第一場 殺人者
「おめでとうございます」
浩子が音頭を取った。今日、二月五日は、藤田絹子の喜寿を祝うために、七人の人々が会していた。
真新しい白いクロスのかけられたテーブルについていたのは、車椅子の絹子を含めて六人。
串田浩子と兄の辰夫は、二人とも絹子の亡き妹、春の子供達だ。その絹子の弟の三浦源治。この三人が絹子に残された最後の肉親だった。
奥村文男は弁護士だったが、絹子の夫邦明の存命中から、もう二十年以上も法律についてだけでなく何かとアドバイスをしてくれている。彼女にとっては貴重な友人である。
また逆に、奥村の側からすれば、まだ、当時駆け出しの弁護士だった自分を、藤田製薬という一流企業の顧問弁護士に取り立ててくれた邦明のことを考えると、彼女にはいくら尽くしても尽くしきれない思いだった。
テーブルの末席に、絹子の正面に座っていたのは主治医の古沢喜一だ。
浩子の声に応えて、何人かが「おめでとうございます」とボソボソ呟き、ワイングラスをが触れ合った。
「ふん・・・・何がめでたいものかね。長生きなんかするもんじゃないよ。・・・・特にこんな世の中じゃね。あたしはもう、うんざり・・・古沢先生、そろそろ何とかなりませんか?」
絹子はそんなことを口にしたが、まんざらでもない様子でワインをおいしそうに飲んだ。
驚いたのは古沢だ。
「な、何とかって・・・・冗談じゃありませんよ。喜寿なんて当たり前のご時世ですからね。奥様にはもっともっと長生きしていただかないと」
こういう口のうまさが、彼が絹子に気に入られた要因の一つだったろう。
「とんでもない!あたしは一人ぼっちになんかなりたくありませんからね。それに最近、体も思うように動かないし、リューマチだって・・・・」
絹子が車椅子を使っているのも、リューマチがひどいせい・・・・ということになっていたが、それは真っ赤な嘘だった。どの医者にみせても、絹子がリューマチだと診断したものはいなかった。それどころか体のどこもかしこも五十代なみの壮健さ、と折り紙までつけてくれたものだ。ただ一人古沢を除いては。
「奥様、リューマチを治すには辛抱強くならないと。歳だから仕方ないなんて諦めないことです。・・・・そうだ、今度別の治療法も試してみましょう。実は最近の新しい研究でですね・・・・」
古沢は、外国のある学者が発表した学説について、口から出まかせを喋りまくる。絹子はそれが自分の生死にかかわることのように、真剣に聞き入った。
これはいうなれば、ゲームのようだった。
絹子は自分が健康であることを知っている。医者である古沢ももちろん知っている。テーブルについている他のメンバーにしても同様だ。
そして全員が知っている、という事実をこれまた全員が承知していた。
古沢が与える薬は全部、偽薬だった。絹子はそれを知っていた。患者が偽薬だと知っていれば効果はないはずだが、それでも絹子はそれを飲むと本当に、少しよくなったような気がした。
そしてまたしばらくすると絹子は不調を訴えだし、古沢は薬を変える。・・・それから同じことの繰り返し。
かくして古沢は法外な料金をせしめ、絹子は精神の安定を得る。どちらにとっても悪くない取引きだったのだ。
古沢が一人喋っている間にオードブルがなくなり、ヘルパーの沙友里が次の料理を運んできた。
土佐沙友里は、二十三歳。去年からずっと通いで絹子の身の回りの世話を引き受け、絹子の望むときには、少し話し相手にもなっている。
絹子が喜寿を迎えると聞いて、パーティーをしようと提案したのは彼女であり、今日の料理もすべて彼女が腕を振るったものだ。
「土佐さん、あなた若いのにお料理上手ねえ」
浩子が褒めると、兄の辰夫は笑った。
「自分が何もできないからって、他人も一緒にするな」
辰夫の言葉に、彼女は鼻つまんだ。浩子はすでに三十五歳だが、未だ独身である。そのことを暗に皮肉った言葉だった。
しかし、そういった辰夫自身もまた、現在は独り身だった。もっとも辰夫の方は過去三回の結婚と三回の離婚後である。という違いがあったが。
余談だが、辰夫の三回の離婚うち一回は、披露宴の最中に行われた。
「きゃあっ!」
沙友里が、悲鳴を上げて飛び上がる。全員何事かとぎょっとしたが、顔を赤らめている沙友里と辰夫のにやにや笑いを見れば、事情は明白だった。後ろを通ろうとした時、辰夫が彼女の体に触ったのだろう。
「辰夫さん・・・この子にちょっかい出されちゃ困りますよ。こんな働き者は、いまどきなかなか見つからないんですからね」
逃げるようにキッチンに消えた沙友里を見送りながら、絹子は辰夫をたしなめたが、その口調には諦め以外感じられなかった。
浩子が音頭を取った。今日、二月五日は、藤田絹子の喜寿を祝うために、七人の人々が会していた。
真新しい白いクロスのかけられたテーブルについていたのは、車椅子の絹子を含めて六人。
串田浩子と兄の辰夫は、二人とも絹子の亡き妹、春の子供達だ。その絹子の弟の三浦源治。この三人が絹子に残された最後の肉親だった。
奥村文男は弁護士だったが、絹子の夫邦明の存命中から、もう二十年以上も法律についてだけでなく何かとアドバイスをしてくれている。彼女にとっては貴重な友人である。
また逆に、奥村の側からすれば、まだ、当時駆け出しの弁護士だった自分を、藤田製薬という一流企業の顧問弁護士に取り立ててくれた邦明のことを考えると、彼女にはいくら尽くしても尽くしきれない思いだった。
テーブルの末席に、絹子の正面に座っていたのは主治医の古沢喜一だ。
浩子の声に応えて、何人かが「おめでとうございます」とボソボソ呟き、ワイングラスをが触れ合った。
「ふん・・・・何がめでたいものかね。長生きなんかするもんじゃないよ。・・・・特にこんな世の中じゃね。あたしはもう、うんざり・・・古沢先生、そろそろ何とかなりませんか?」
絹子はそんなことを口にしたが、まんざらでもない様子でワインをおいしそうに飲んだ。
驚いたのは古沢だ。
「な、何とかって・・・・冗談じゃありませんよ。喜寿なんて当たり前のご時世ですからね。奥様にはもっともっと長生きしていただかないと」
こういう口のうまさが、彼が絹子に気に入られた要因の一つだったろう。
「とんでもない!あたしは一人ぼっちになんかなりたくありませんからね。それに最近、体も思うように動かないし、リューマチだって・・・・」
絹子が車椅子を使っているのも、リューマチがひどいせい・・・・ということになっていたが、それは真っ赤な嘘だった。どの医者にみせても、絹子がリューマチだと診断したものはいなかった。それどころか体のどこもかしこも五十代なみの壮健さ、と折り紙までつけてくれたものだ。ただ一人古沢を除いては。
「奥様、リューマチを治すには辛抱強くならないと。歳だから仕方ないなんて諦めないことです。・・・・そうだ、今度別の治療法も試してみましょう。実は最近の新しい研究でですね・・・・」
古沢は、外国のある学者が発表した学説について、口から出まかせを喋りまくる。絹子はそれが自分の生死にかかわることのように、真剣に聞き入った。
これはいうなれば、ゲームのようだった。
絹子は自分が健康であることを知っている。医者である古沢ももちろん知っている。テーブルについている他のメンバーにしても同様だ。
そして全員が知っている、という事実をこれまた全員が承知していた。
古沢が与える薬は全部、偽薬だった。絹子はそれを知っていた。患者が偽薬だと知っていれば効果はないはずだが、それでも絹子はそれを飲むと本当に、少しよくなったような気がした。
そしてまたしばらくすると絹子は不調を訴えだし、古沢は薬を変える。・・・それから同じことの繰り返し。
かくして古沢は法外な料金をせしめ、絹子は精神の安定を得る。どちらにとっても悪くない取引きだったのだ。
古沢が一人喋っている間にオードブルがなくなり、ヘルパーの沙友里が次の料理を運んできた。
土佐沙友里は、二十三歳。去年からずっと通いで絹子の身の回りの世話を引き受け、絹子の望むときには、少し話し相手にもなっている。
絹子が喜寿を迎えると聞いて、パーティーをしようと提案したのは彼女であり、今日の料理もすべて彼女が腕を振るったものだ。
「土佐さん、あなた若いのにお料理上手ねえ」
浩子が褒めると、兄の辰夫は笑った。
「自分が何もできないからって、他人も一緒にするな」
辰夫の言葉に、彼女は鼻つまんだ。浩子はすでに三十五歳だが、未だ独身である。そのことを暗に皮肉った言葉だった。
しかし、そういった辰夫自身もまた、現在は独り身だった。もっとも辰夫の方は過去三回の結婚と三回の離婚後である。という違いがあったが。
余談だが、辰夫の三回の離婚うち一回は、披露宴の最中に行われた。
「きゃあっ!」
沙友里が、悲鳴を上げて飛び上がる。全員何事かとぎょっとしたが、顔を赤らめている沙友里と辰夫のにやにや笑いを見れば、事情は明白だった。後ろを通ろうとした時、辰夫が彼女の体に触ったのだろう。
「辰夫さん・・・この子にちょっかい出されちゃ困りますよ。こんな働き者は、いまどきなかなか見つからないんですからね」
逃げるようにキッチンに消えた沙友里を見送りながら、絹子は辰夫をたしなめたが、その口調には諦め以外感じられなかった。
更新日:2022-11-25 10:58:49