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真空の箱

 夜中にふと目が覚めた。目が覚めて、どうして目が覚めたのだろうとしばらくの間考える。辺りは真っ暗で、何の物音も聞こえない。
 何時だろうか。そう思い、枕元の目覚まし時計を手に取ろうとして、あれ?と思った。腕を伸ばそうとすると壁に当たる。不思議に思って反対側の腕も伸ばしてみたが同じである。身体を囲むように両側に壁がある。狭い。これではろくに身動きも取れない。何かの隙間に身体がぴたりとはまってでもいるかのようだ。だけど一体何の隙間に?乏しい家具しかない自分の部屋の様子を思い浮かべて頭をひねる。
 それにしても暗い。辺り一面、墨でも流したように真っ暗なのだ。眠るとき、常夜灯はつけておいたはずなのに。状況がつかめぬまま、とにかく起き上がろうとしてまた驚いた。頭を起こそうとするとすぐ上にも壁があって起き上がれない。何だこれ?思わず声に出して呟いていた。
 両手で辺りを探ってみる。壁、壁、右も左も上も下も、両足を動かしてみても同じだった。まるで狭い細長い箱の中に閉じ込められてでもいるみたいだ。
 何だこれ?
 半ばパニックを起こしかけながら、もう一度両手で辺りをくまなく探る。どこかに取っ手や隙間はないものか…。手あたり次第に押してもみた。ドンドンと叩いてもみた。だがどの壁も強固で頑丈でビクともしない。ドンドンと叩く音すら吸収されて、まるで無音で静かな闇のままである。これはもしかして『真空の箱』ではないだろうか、と不意に悟った。
 『真空の箱』が何かは知らない。ただ、そういうものがあると頭で知っているだけだ。見たことはないけれど、たぶんこれがそうなのだろう。そう思うと不思議と諦めがついてしまった。押したり叩いたりするのをやめて、そのままじっと横たわった。
 『真空の箱』に入ってしまったらどうなるのかは知らない。たぶんどうにもならない。ただずっと、この音のない真っ暗な状態が続くのだろうと漠然と思った。
 「あれまぁ、カイセイ。こんなところで」
 その時、突然声がした。
 「いけないよ、こんなところに入ってきちゃ。ほんとにこの子はいったい何をしでかすやら」
 見ると、親しくしている叔母がすぐ近くに立っていた。
 「どこから入ってきたんだい。まったくお前は神出鬼没だねぇ」
 そう言ってカラカラと笑う叔母の顔は、なぜか薄い膜が張ったようにぼんやりと滲んでいた。目の焦点がうまく合っていないのかと、ぱちぱち瞬きをしてみるが、叔母の顔はますますぼんやりぼやけるばかりだ。後から思えば、墨のような暗闇でなぜ叔母の姿だけ見えたのか、つくづく不思議だ。
 「そらそら、いつまでもそんなところで寝てないで早くお行き。間に合わなくなっちゃうよ」
 それは大変だ、と自分は思う。でも何に間に合わなくなるのかはわからない。それにもう少し叔母と話していたい気もする。叔母は何ごとにも囚われない性格で、サバサバとして気持ちのいい人間だった。そうだ、叔母に、あのことを聞いてみたかったんだと唐突に思い出したが、あまりに叔母が早く早くと急かすので、ひとまず起き上がってみた。その途端にくっきりと目が覚めた。
 自分は布団の上に起き上がって、ぼんやりと座っていた。夢の残像があまりにも明瞭で、あれは夢だったのか現実なのか、しばらくの間どっちとも判断がつかずに呆けていた。
 ふと思い出して枕元の目覚まし時計を見た。夜中の3時を少し過ぎた頃だった。
 カーテンが薄いせいで、外の街灯の明かりがぼんやりと部屋に差し込む。部屋の中はいつも通りで、深夜の静けさに満ちているとはいえ、無音では決してなかった。時計の針の音、冷蔵庫の通電の音、窓の外で鳴いている名も知らぬ虫の声、そこここに夜の音が染み出していた。
 夢か。ようやくにそう思った。 
 そこで再び布団の中に潜り込むと、不思議な夢の名残りを追いながら、もう一度眠った。

更新日:2022-05-10 08:42:44

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