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ねじ

挿絵 225*225

ねじとは、円筒や円錐の面に沿って螺旋状の溝を設けた固着具で、ボルトのように外表面にねじ山がある「おねじ」とナットのように内表面にねじ山のある「めねじ」がある。起源は明確にはなっていないが、発明のヒントは巻貝という説と、木に巻き付くつる植物だったのでないかという説がある。

発明者についてはアルキタスが発明したとする説と、ペルガのアポロニウスが発明したとする説がある。円筒状の筒の中に大きなねじを入れた揚水用のアルキメディアン・スクリューはアルキメデスの発明といわれ、最初に螺旋構造を機械に使用した例だとされている。

ギリシア時代には既に機械として使われていた事が知られており、西洋では、オリーブやブドウなどの果汁を搾るねじ圧縮機(スクリュープレス)として使われていた。
16世紀半ばになると、ねじは様々な場面で使われるようになった。懐中時計用の小さなねじや、銃に使う大きなねじ、甲冑用のボルトなどにねじが使われた。

英国のヘンリー・モーズリーは、フランス人マーク・イザムバード・ブルネルと組みポーツマスに世界初の完全に自動化された工場を作った。この工場は10人の工員が44台の機械を使い、年間16万個の滑車を作ることができたという。

1825年には、ブルネルはテムズ川の下をくぐる365mのトンネル工事を受注した。モーズリーはブルネルが発明した矩形のトンネル用鋳鉄製シールドを製造してトンネルを完成させた。これがシールド工法の始まりである。モーズリーは他に印刷機、プレス機、貨幣鋳造の特殊機械、ボイラー板穴開け機などを作ったが、最も有名なのは蒸気機関であった。ブルネルの息子が初の大西洋横断蒸気船を作った際に、モーズリーの息子もその船に搭載する、当時世界最大の750馬力の蒸気機関を作った。

日本には1543年、種子島へ漂着したポルトガル人が所有していた火縄銃とともにねじが伝来したとされている。火縄銃の銃身の銃底を塞ぐ尾栓に使われていたおねじとめねじが日本人が初めて見たねじとされている。

日本を含めて東洋では、ねじ構造自体を独自に発見・発明することができなかった。村松貞次郎は『無ねじ文化史』で江戸の工業製品にはねじの使用例はなく、江戸幕府の江戸時代とは「ねじの無い文化」の時代であるとした。ねじがほとんど無いため、日本ではドアが発達しなかった。

更新日:2022-06-14 09:42:02

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