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「千代?」
 男としては中背ほどの、毬栗頭にした、色の浅黒い、はっきりした一文字眉にやや吊り上がった切れ長い目をした、しかし、どこか見覚えのある人懐こい表情をした相手は微笑みました。
「そういえば、津川のお屋敷に勤めに出たんだったね」
「直彦《なおひこ》!」
 故郷の近所に住んでいた幼なじみでした。
 あれ、でも、確かこの人は他所《よそ》の中学に行ったはずでは……。
 家が貧乏子沢山で小学校までしか行けなかった私に対して、直彦はお屋敷の坊ちゃまほどでなくてもそれなりに裕福な家の一人っ子だったはずでした。
 相手はこちらの思いを見透かしたように苦笑いすると続けました。
「新田《にった》のお屋敷に勤めることになった」
 ええ、新田のお屋敷があったのは今は新しい大学のキャンパスが立っている辺りですね。
 そのせいであの浜辺も今でこそ若い方を良くお見掛けしますけれど、あの頃は近隣のお屋敷の者でもなければ滅多に近付きませんでした。
 何でも新田の旦那様がその辺りの漁を取り仕切っていて自分の敷地近くの沖で獲ることは断固として禁じていたので、近隣のお屋敷の者以外は子供すら遊びに来なかったという話です。
 その間、坊ちゃまは見知らぬ人が怖いのか表情の消えた面持ちで直彦を見詰めていましたが、ふとにっこり笑って尋ねました。
「ねえやのお友達?」
「そうですよ」
 先に笑顔で答えたのは直彦でした。
「津川の坊ちゃまですか?」
 屈み込んで坊ちゃまの姿を改めて見直すと感嘆したように呟きました。
「小公子《しょうこうし》みたいな坊ちゃまだなあ」

更新日:2022-01-03 00:57:12

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