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小説

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後編

 若い頃は綺麗だったのにどうしてずっと独身だったのかですか?
 いえ、この写真では多少良く写ってますけれど、私は若い時分もそんなに美人だとか器量がいいとか目立って言われる方ではありませんでしたよ。若い内は誰でもある程度までは綺麗ですしね。
 ただ、一度だけ一緒になろうと考えた人はいました。
 どういう人だったかですか?
 そうですね、ご奉公を初めて二年ほど経った春のことでした。
 坊ちゃまは小学校の二年生になり、私は学校の行き帰りはいつもご相伴しておりました。
 学校からお屋敷までの海沿いの道には桜並木がありまして、その日はちょうど満開でした。
――ポッポー、ガタゴトガタゴト……。
 花霞の向こうから汽車の近付いて来る音が響いてくると、坊ちゃまはパッと目を輝かせて
「ねえや、汽車だ。ここだとはっきり聞こえるね」
と仰いました。
 ええ、男の子には良くあることでしょうけれど、修吾坊ちゃまも汽車がお好きで、おうちにある本を見て外国の汽車の名前まで覚えておいででした。
「僕もいつか汽車に乗って遠くへ行ってみたい」
 連れて行ってくれとどこかせがむような調子でした。
「そうですね」
 もう少し丈夫にならなければ汽車に揺られる旅には耐えられないだろうと思いました。
「でも、今年はちゃんと学校に通って組のお友達と仲良くなれるといいな」
 舞い散る薄紅の花弁を見送りながら、坊ちゃまは急にどこか寂しく仰いました。
「病気で休んでいる間に僕は皆から置いていかれてるんだろうね」
「坊ちゃまは良くお出来になるから大丈夫ですわ」
 これは空世辞や贔屓目ではなく、坊ちゃまは学校には年に数えるほどしか通えませんでしたが、たまに学校に行って試験を受けるといつも首席でしたから、先生も驚かれておりました。
 ちなみにその時次席だったのがあの杉田博士なんですよ。
 ええ、今は医大の学長も退《よ》されたそうですけれど、テレビや新聞でお見かけしますね。
 おや、博士の自伝には
「子供の頃、学校にまともに来ていない同級生からいつも首席を奪われるのが悔しくていっそう勉強した」
「後にも先にも首席を奪われたのはその同級生だけである」
とあるのですか?
 そちらは存じませんでした。
 それはさておき暫く止んで今度は遠ざかっていく汽笛の音を聞きながら桜の並木道を半ば以上進んだ所で、向こうから小さなトランクを持った若い男が歩いてくる姿が見えました。
 相手もこちらに気付いたようです。

更新日:2022-01-03 00:56:58