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 前回あのひとと会ってから少し心配していたものの、日々には何も変化はなかった。おばあさまが狐や何やらを余計に気にすることもなければ、クラスメイトに何が起こるわけでもなく、それからさんごが見つかることもなかった。
 変わったことがあるとすれば、周囲がなんとなく、よくない空気になっていることくらいだった。どうやら公立入試が近いらしく、気が立っているらしい。私には関係のないことなのだが、どうにも居心地が悪い。
 私も私で高校生活に向けての勉強をしなくてはならないので、周囲を気にしている場合ではない。いよいよ学校に来る意義がなくなりつつあるが、あと少しの辛抱だと思っておく。もう残り一ヶ月もない。やはり学校に未練は一欠片もなかった。おばあさまのもとを離れる、それもさんごも見つからないまま、ということは気になるけれど。
 このまま時間が過ぎなければいいと思うような、思わないような。反対に、時間が巻き戻ればいいと思うような、思わないような。なんだか気分が安定しない。早くどこかで落ち着きたいのに、家に帰りたくないような気がするのはなぜだろう。
 なんだか、誰かと話したいような気がする。さんごがいた頃はよくさんごに話しかけていたから、おそらくそれが恋しいのだろう。おばあさまももちろん話を聞いてくれるが、あまり心配させるようなことは言えない。それに、人に話すにはあまりにもまとまりがない。何を話したいのかは自分でもよくわからないのだ。
 あのバス停に行ってみようかと思い立つ。話すかどうかはわからないが、あのひとに会ってみてもいい気がした。よくしゃべるひとだが、こちらから話そうとしなければうるさく聞き出そうとし続けることもないだろうし、たしかいつでも話をしにきていいと言っていたのだし。
 それに、なんだか気になる。また会えば何かを思い出せる気がする。あのひとは誰だろう?
 歩きながら、なんとか昔のことを思い出そうとしてみる。小さい頃のことで真っ先に思いつくのは、大事にしていたお人形のこと。まだここに越してくる前、金森にいた頃のこと。
 本当に大切な子だったけれど、火事で焼けてしまった。それが悲しいからか、単に小さい頃のことだからか、今ではお人形についての記憶はぼんやりと霞んでしまいつつある。
 あの子以外に、友達と呼べるような存在はいただろうか。同年代の子はいなかったから、遊び相手はあの子だけだった。他にいるとすれば、親切にしてくれた近所の人、お祭りで譲ってもらった金魚、自由帳・・・。あのひとらしい姿は思い浮かばない。
 だからといって、主屋に来てからは来てからで、親しい存在はさんごか、小学生の頃のクラスメイトの一人くらい。クラスメイトはたしかトバリという名前ではなかったはずだし、もし苗字が変わっただのなんだの理由があるのなら言うはずだろう。人の顔を覚えるのが苦手なので自信はないが、あんな顔ではなかったようにも思う。・・・たぶん。

更新日:2022-08-13 20:47:03

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