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第1話・慎ましく

“剣客先生”こと剣崎 覚馬(けんざき かくま)が、ウマ娘のグラスワンダーと出会ったのは、彼がトレセン学園に赴任した直後のことだった。

 男一人の身軽な引っ越しを終えた剣崎は、これから自分が暮らす街を見ておこう思い立ち、ふらりと散歩に出かけた先でのできごとだった。

 春の陽気が心地よい昼下がりだった。

 引っ越してきたばかりとあって土地勘も無いまま適当に歩き回っていたので、気づいたときには帰り道を見失っていた。剣崎は自分が迷子になってしまったことに気づいて、ふふっと笑みを漏らした。

「いい歳をして迷子とは、都会暮らしに浮かれ過ぎたか。……ま、これも一興」

 剣崎は名も知らぬ大きな川のほとりに佇み、その川沿いに広がる公園を眺めた。休日の昼下がりということもあって、公園には多くの人々が思い思いに過ごしていた。

 人々といってもその内訳は様々だ。老若男女は言うに及ばず、ヒト耳にウマ娘、その他、その身に様々なソウルを宿した人々が分け隔てなく、和気あいあいと、同じ時間と空間を共有して過ごしている。

 剣崎はしばしの間、目を細めてその光景を眺めていた。とりわけ、その視線は公園に併設されたウマ娘専用のトラックコースに向けられていた。

 数あるソウル憑依者の中でもトップクラスの走力を誇り、何よりも走ることに本能的な喜びを見出すウマ娘たち。そのために作られた専用トラックでは、数人のウマ娘たちが、その身に宿したソウルの赴くままに風を切って疾走していた。

 いずれもレーサーではない一般のウマ娘だ。走行フォームは洗練されておらず、その優れた脚力を速度へ変換しきれていなかったが、しかし彼女たちの姿からは、走ることを純粋に喜び、楽しんでいるさまが手に取るように感じられた。それくらい、彼女たちの姿は輝いてみえた。

 古来よりヒトは、その輝きに魅了されてきたという。剣崎もまたその一人だった。走ることで輝くウマ娘たちを、さらに輝かせたい。それが、剣崎がトレーナーを志した原点だった。

 とはいえ、今この場であのウマ娘たちに声をかけ指導をしようという気はさらさら無かった。彼女たちはレーサーではないのだ。遊びを邪魔するのは野暮というものである。

 そんな思いで景色を眺め続けていたとき、ふと、視線を感じた。

 その方向へ首を向けると、十数メートルほど離れた先に居た人物と目が合った。

 年若いウマ娘だった。頭頂部の尖った耳をこちらに向け、栗色のストレートの長髪と同じ色をした尻尾をゆらゆらと大きくゆっくり揺らしている。

 ヒトの感情は目の動きによく表れるが、ウマ娘はそれに加えて耳や尻尾にも無意識の感情がよく表れる。そのウマ娘は物静かな表情をしていたが、しかし明らかに剣崎に好奇心を抱いていた。

(さては不審者と思われたかな?)

 と、剣崎は一瞬だけ身構えたが、すぐにそのウマ娘から警戒心が感じられないことに気が付いた。

 ウマ娘の方はと言えば、彼女は剣崎と目が合った瞬間、かすかに耳を震わせたが、しかし目を逸らすこともなく、落ち着いた足取りで彼の方へと歩み寄ってきた。

「あの~すみません。もしかして、学園所属のトレーナーさんではありませんか?」

 おっとりとした、落ち着いた声と口調での問いかけに、剣崎は「ええ、そうです」と頷きながら真っ直ぐに向き直った。彼の胸にはトレセン学園所属のトレーナーであることを示すバッヂが光っている。

 ウマ娘はそれを目にして「やっぱり」と微笑んだ。

「剣崎 覚馬と申します。もしかして君も?」

「はい、トレセン学園の生徒です。申し遅れました。私はグラスワンダーと申します」

 どうぞよろしくおねがいします、と流れるような所作で深々とお辞儀してみせた彼女の姿に、剣崎はすぅと目を細めた。

 乱れの無い丁寧な所作だ。しかも隙が無い。

 内心で感心しつつ剣崎も頭を下げた。

「こちらこそよろしく。……しかしなぜ俺がトレーナーと分かったのかね? 君の位置からでは胸のバッヂは見えなかったと思うが」

「ウマ娘たちを真剣に眺めていらしたので」

「ウマ娘の走る姿には誰しも目を惹かれるものだ」

「あらまあ~、嬉しいことをおっしゃるのですね」

 グラスワンダーはクスクスとひそやかに、淑やかに笑い声をこぼした。

「けれど、あなたの眼差しはそんな軽薄なようには思えませんでした」

「はて?」

「何と言いましょうか、トレーナーさんたち特有の目をしていたので……」

 グラスワンダーからそう告げられ、剣崎は思わず苦笑いをせざるえなかった。

 自分ではそんなつもりはなかったのだが、やはり職業病か、無意識に値踏みするような目にでもなっていたのだろう。長い耳や尻尾を持たずとも、ヒトは目だけで無意識を雄弁に語ってしまうものらしい。

更新日:2021-09-12 01:14:32

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ウマ娘二次小説~グラス、草燃ゆる勝負師~