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地中海派遣

挿絵 640*426

大正3年(1914)5月、山口多聞は巡洋艦「筑摩」の乗組員になった。同年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナンド大公夫妻がボスニアの首都サラエボで暗殺される事件が発生した。これを機にオーストリアは黒幕とされるセルビアに宣戦を布告し、ヨーロッパ各国を巻き込んで第一次世界大戦が勃発した。

当時の日本はイギリスと日英同盟を結んでおり、イギリスからの要請によって、輸送船団の護衛を担うことになった。
大正6年(1917)、特務艦隊が編成されて遠い地中海に遠征されることになった。翌年、山口は駆逐艦「樫」の航海長に任ぜられた。五月、樫は魚雷攻撃を受けたイギリス商船バンクラスの乗組員救助を行った。いつまた敵Uボートの雷撃があるかわからない中での活動で、イギリス国王から感謝状を受けている。

12月、山口は大尉に昇進して帰国を命ぜられた。
スエズ運河まで来たところで新たな命令を受け、戦利品として接収した潜水艦Uボートを日本まで回航する任務を受けた。翌年6月、内地に帰港した。
帰国した山口は、12月に横須賀の水雷学校に入学した。

大正9年、山口は第一次世界大戦に参加した功で、勲4等旭日小授賞を賜った。



更新日:2021-07-05 16:17:16

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