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松江藩士 山口家

挿絵 800*535

海将山口多聞を生んだ山口家は、関ヶ原の戦いで西軍について断絶した大聖寺城主の山口宗永を祖とし、生き延びた子孫が、松平直政に仕えて松江藩主となる松江藩士となり、江戸時代を通じて中老・番頭を勤める上級藩士として藩政に関わりました。

山口多聞は、山本五十六の連合艦隊司令長官の後を継ぐ人望の持ち主でしたが、山口家は驚くほどの逸材揃いで、日本銀行理事となった父・山口宗義、明治を代表する建築家で大阪市街地の設計などを行った山口半六、日本最古のX線写真を残した物理学者である山口鋭之助を輩出している。

山口多聞は子供の頃から大食漢で、常にご飯のお代わりは当たり前。戦艦大和でフランス料理のフルコースを平らげた際には「美味いが量が少ねぇ」と苦言を呈した。
海軍学校からの同期である五十嵐恵と料亭に行った際には、注文した料理が4人前も来てしまったことがある。五十嵐が注文を確認していると、横から多聞は「俺が3人前食うつもりだったんだ、勝手に減らすな」と言って全部平らげたという逸話が残されている。

女好きだった山本五十六とは対照的に、山口は愛妻家で、戦地から数百通の手紙を送っている。また、空母飛龍の退艦時に妻へ贈り届けるよう乗組員に託した軍帽は、現在は広島県江田島市にある第一術科学校 教育参考館に保存されている。

更新日:2021-07-07 09:52:05

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