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大みそか、シュールストレミングが吹雪く夜
ゴトランドが「年越し蕎麦は任せて」と言ったとき、嫌な予感がした。
一応、どんな蕎麦を作るの?と訊いたら、
「私たちの年越しそばって言ったら、ニシン蕎麦に決まってるじゃない」
毎年恒例でしょ?と言いながら、実家から届いた段ボール箱を開け始めた。そうだっけ。そうだったような。そんな気がする。
それよりも気にかかることがあって、僕は窓に目を移した。外は猛吹雪だ。街灯の明かりに照らされて、雪が横殴りに舞っている。
「ゴトさんや、ちょっといいかね?」
「ん? なに?」
「外は雪です。猛吹雪です」
「うん、知ってる。それで?」
「その手に持っているものは何かな?」
「そりゃもう、言わずと知れた」
スウェーデン名産品のアレですね。うん、知ってた。
「それを一体どこで開ける気なんだ?」
「外に決まってるでしょ。室内で開けたら大惨事になっちゃうし」
「外は吹雪です」
「汁が飛散しても雪で埋もれるからちょうどいいじゃない。ほら、行きましょ」
当然のように僕を誘わないで欲しい。開けるのは独りでもできるでしょ。そんな文句が口を突いて出そうになったけど……
(まあ、今さらだし)
ふとそんな気分になった。
ゴトは昔からそうだ。何をするにしても僕と一緒にやることが当然だと思っている。そのことに疑問さえ抱いてないのだろう。そして僕もいつしかそれに慣れてしまって、今回も大人しく缶切りとビニール手袋を準備して、ゴトと一緒に部屋を出た。
「外套着終わった? あ、ボタン掛け違えてるよ。もう、仕方ないんだから。ほら、ちょっとジッとして」
僕が自分で直す前に、ゴトがすぐ目の前に寄って来ていた。彼女の指が僕の胸元のボタンに触れる。空色の瞳と、左目元の泣き黒子。少し俯き気味なその整った顔立ちに微かな笑みを浮かべながら、僕の外套のボタンをかけ直していく。
「はい、これで良し」
ぽんぽんと僕の胸を軽く叩いて、そのまま僕の手を取りながらゴトは背を向けた。
ゴトに手を引かれて、僕は外に出る。
外は一面の銀世界、の筈だ。顔に雪が叩きつけられて目を開けていられない。なのにゴトは僕の手を引いてずんずん歩いていく。ちょっと待って、雪に足が捕られて転んじゃうよ!?
ズベッ、っと足元が滑って僕はバランスを崩した。
「え? わっ!? きゃあっ!?」
前のめりに転倒した僕が手を引いてしまい、ゴトも雪の上で尻もちをつくように転倒した。うつぶせに倒れた僕のすぐ隣で、ゴトが仰向けに倒れている。
「うわ~、びっくりした」
「ごめん、ゴト、大丈夫?」
「うん、平気平気。あー、でも、ちょっと懐かしいかも」
ゴトは仰向けのまま、白い吐息とともに笑みを漏らした。
「小さい時にさ、よく二人でこうして、雪の上で転がってあそんだなぁ…って」
「そうだっけ?」
「うん。全身雪まみれのまま家に帰って、Mammaによく怒られたっけ」
「ああ……そうだったな……」
「缶詰開けるの失敗して、全身に汁を浴びちゃったこともあったよね」
「あったかな?」
「あったよ」
「あったな。そうだった。ゴトが穴を開ける方向を間違えて全身に浴びたんだ」
「違うよ。失敗したのは、あなた」
「君だよ」
「あなただってば……くちゅん」
ゴトのくしゃみ。その顔はもう雪まみれだ。お互い様だけど。
「ゴト、とりあえず先に缶開けない?」
「そうね。今度は失敗しないでよ」
「失敗したのは君だ。って、それはもうどうでもいいや」
寒い寒い。僕たちは立ち上がり、風下側の玄関わきに移動した。そこには玄関前を除雪した時に積み上げた雪山があった。ゴトがその斜面に缶詰を置く。
「じゃ、お願いね」
「はいはい」
僕はビニール手袋を嵌めた手で缶詰の蓋に缶切りの刃をあてがい、その面を雪山の斜面に傾けた。
ここから先は一瞬も気を抜けない至難の業だ。風の方向、缶詰の角度、穴の大きさを少しでも間違えると内部に充満した発酵ガスが広範囲にまき散らされ、大惨事を引き起こしてしまう。
「気を付けて、慎重にね」
僕の背中に隠れてゴトが言う。ちゃっかり僕を盾にしている。
「よし、開けるよ」
「あ、ダメダメ、待って。もうちょっと缶詰を傾けたほうが良くない?」
「こう?」
「もうちょっと…あ、行き過ぎ行き過ぎ、少し戻して」
「………」
肩ごしのアドバイス。耳元すぐで囁かれるゴトの声がこそばゆい。
「そうそう、いい感じ」
「…行くよ?」
「うん!」
きゅっと、背中にしがみつかれる感覚を感じながら、僕は缶切りを握る手に力を込めた。
刃が蓋に食い込んだ瞬間、ボスン、という音とともにガスが噴き出し、僕の手から缶切りを弾き飛ばした。缶詰からガスとともに噴き出した液体が目の前の雪山の斜面を黄色く染め上げてく。
「くっさ!!??」
「あははは、やっぱ凄いよねコレ!」
一応、どんな蕎麦を作るの?と訊いたら、
「私たちの年越しそばって言ったら、ニシン蕎麦に決まってるじゃない」
毎年恒例でしょ?と言いながら、実家から届いた段ボール箱を開け始めた。そうだっけ。そうだったような。そんな気がする。
それよりも気にかかることがあって、僕は窓に目を移した。外は猛吹雪だ。街灯の明かりに照らされて、雪が横殴りに舞っている。
「ゴトさんや、ちょっといいかね?」
「ん? なに?」
「外は雪です。猛吹雪です」
「うん、知ってる。それで?」
「その手に持っているものは何かな?」
「そりゃもう、言わずと知れた」
スウェーデン名産品のアレですね。うん、知ってた。
「それを一体どこで開ける気なんだ?」
「外に決まってるでしょ。室内で開けたら大惨事になっちゃうし」
「外は吹雪です」
「汁が飛散しても雪で埋もれるからちょうどいいじゃない。ほら、行きましょ」
当然のように僕を誘わないで欲しい。開けるのは独りでもできるでしょ。そんな文句が口を突いて出そうになったけど……
(まあ、今さらだし)
ふとそんな気分になった。
ゴトは昔からそうだ。何をするにしても僕と一緒にやることが当然だと思っている。そのことに疑問さえ抱いてないのだろう。そして僕もいつしかそれに慣れてしまって、今回も大人しく缶切りとビニール手袋を準備して、ゴトと一緒に部屋を出た。
「外套着終わった? あ、ボタン掛け違えてるよ。もう、仕方ないんだから。ほら、ちょっとジッとして」
僕が自分で直す前に、ゴトがすぐ目の前に寄って来ていた。彼女の指が僕の胸元のボタンに触れる。空色の瞳と、左目元の泣き黒子。少し俯き気味なその整った顔立ちに微かな笑みを浮かべながら、僕の外套のボタンをかけ直していく。
「はい、これで良し」
ぽんぽんと僕の胸を軽く叩いて、そのまま僕の手を取りながらゴトは背を向けた。
ゴトに手を引かれて、僕は外に出る。
外は一面の銀世界、の筈だ。顔に雪が叩きつけられて目を開けていられない。なのにゴトは僕の手を引いてずんずん歩いていく。ちょっと待って、雪に足が捕られて転んじゃうよ!?
ズベッ、っと足元が滑って僕はバランスを崩した。
「え? わっ!? きゃあっ!?」
前のめりに転倒した僕が手を引いてしまい、ゴトも雪の上で尻もちをつくように転倒した。うつぶせに倒れた僕のすぐ隣で、ゴトが仰向けに倒れている。
「うわ~、びっくりした」
「ごめん、ゴト、大丈夫?」
「うん、平気平気。あー、でも、ちょっと懐かしいかも」
ゴトは仰向けのまま、白い吐息とともに笑みを漏らした。
「小さい時にさ、よく二人でこうして、雪の上で転がってあそんだなぁ…って」
「そうだっけ?」
「うん。全身雪まみれのまま家に帰って、Mammaによく怒られたっけ」
「ああ……そうだったな……」
「缶詰開けるの失敗して、全身に汁を浴びちゃったこともあったよね」
「あったかな?」
「あったよ」
「あったな。そうだった。ゴトが穴を開ける方向を間違えて全身に浴びたんだ」
「違うよ。失敗したのは、あなた」
「君だよ」
「あなただってば……くちゅん」
ゴトのくしゃみ。その顔はもう雪まみれだ。お互い様だけど。
「ゴト、とりあえず先に缶開けない?」
「そうね。今度は失敗しないでよ」
「失敗したのは君だ。って、それはもうどうでもいいや」
寒い寒い。僕たちは立ち上がり、風下側の玄関わきに移動した。そこには玄関前を除雪した時に積み上げた雪山があった。ゴトがその斜面に缶詰を置く。
「じゃ、お願いね」
「はいはい」
僕はビニール手袋を嵌めた手で缶詰の蓋に缶切りの刃をあてがい、その面を雪山の斜面に傾けた。
ここから先は一瞬も気を抜けない至難の業だ。風の方向、缶詰の角度、穴の大きさを少しでも間違えると内部に充満した発酵ガスが広範囲にまき散らされ、大惨事を引き起こしてしまう。
「気を付けて、慎重にね」
僕の背中に隠れてゴトが言う。ちゃっかり僕を盾にしている。
「よし、開けるよ」
「あ、ダメダメ、待って。もうちょっと缶詰を傾けたほうが良くない?」
「こう?」
「もうちょっと…あ、行き過ぎ行き過ぎ、少し戻して」
「………」
肩ごしのアドバイス。耳元すぐで囁かれるゴトの声がこそばゆい。
「そうそう、いい感じ」
「…行くよ?」
「うん!」
きゅっと、背中にしがみつかれる感覚を感じながら、僕は缶切りを握る手に力を込めた。
刃が蓋に食い込んだ瞬間、ボスン、という音とともにガスが噴き出し、僕の手から缶切りを弾き飛ばした。缶詰からガスとともに噴き出した液体が目の前の雪山の斜面を黄色く染め上げてく。
「くっさ!!??」
「あははは、やっぱ凄いよねコレ!」
更新日:2021-01-05 12:39:42