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ナルシサス

 いつまで歩くんだろうな。
 そう思いながら、誰だかわからない人に手を引かれつつ、知らない道を行く。どこへ行って、何をさせられるのかも、当然わからない。ただ、この人は今まで見た中では一番いい人そうだ、とは思った。
 彼はまだ若い青年。なんとなく人好きする顔で、僕を迎えに来た時からずっと楽しそうな表情を浮かべている。身につけている赤いコートはまだ真新しく、わりと上質な生地で仕立てられているように思う。飾りはほとんどなく、華美な格好ではないけれど、まあまあいい暮らしをしていそうだ。
「疲れた?」
 不意に振り向いた彼に聞かれ、首を横に振る。
「そうかそうか。でもそろそろ退屈はしたろう、少しお話でもしようか」
 そう言って彼は一人で納得したらしく、僕の返事を待たずに一人でしゃべり始めた。
「これから君がお世話になるのはね、この国でも指折りの貴いお方だよ。そう・・・少なくとも僕はそう思っている。本当に素晴らしい方だから安心していいよ」
 聞きながら、嬉しそうな反応をするでもなくただ顔を見上げるばかりの僕に、彼は拍子抜けしたのかちょっと苦笑しつつ続ける。
「まあ、突然そんなことを言われても困るか。あんまり褒めすぎてもちょっと怪しい風に感じるかもしれないしね。でも本当に、心配しなくて大丈夫さ」
 そんな調子で話し続ける彼。言うことはほとんど同じ、ご主人がどれだけ素敵な人かについて。従者である自分がどれだけ幸福かについて。そして、これからの僕がどれだけ恵まれるかについて。
「君は今までいろいろなところに行ったけれど、どこへ行ってもすぐ返されたそうじゃないか。いい加減に安心できる居場所が欲しいだろう。ご主人様はきっと君を大切にしてくれるからね、もう平気さ」
 僕はもうあっちこっち行かされるのには慣れっこなのだけれど。

更新日:2020-12-04 20:31:30

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