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そんな風に過ごしていたある日、やっと悪魔は願いのことを口にした。
「そろそろ、私のことを少しは信用していただけましたかね?」
「少しは、ね」
そう返すと、悪魔は過剰なまでに喜んで私の手をとった。
「それはそれは!嬉しいです」
「そう」
いきなりの行動に思わず声が裏返る。決まりの悪い思いをしたけれど、悪魔はそんなことは気にしていない様子でそっと手を離して続けた。
「それで、私のすべきことについてのお話です。それが何かお教えくだされば、なんでも願いを叶えて差し上げましょう。回数に制限もなければ、代償も必要ありません。いくらでもお好きなようにお望みください」
意外とあったかい手をしてるのね、なんて変なことを考えながら、私は悪魔の言葉を繰り返した。
「好きなようにお望みください、っていっても、ねえ」
願い。
いくらでも思いつくように思えて、いい考えはちっとも出てこなかった。少し前まで願いを叶えるという話が気になってしょうがなかったのに、どうしてだか、考える気ももうあまり起きなかった。こんなにいい機会はないだろう、とは思うのだけど。
答えられない私を、悪魔は首を少し傾けてじっと見つめていた。表情はなんだか複雑で、私の答えを待っているような、いないような、私の心を探っているような、逆に私に何かを伝えようとしているような、何も考えてはいないような、私次第でどうとでも解釈ができそうな顔だった。それでもやはり口角は少し上がっていて、微笑ではあるのが余計に不思議な感じ。
「わからないわ」
本当に何も浮かばずに、私は小さく首を振ってみせた。それでも悪魔は動かずに私を見つめたまま。
「わからないのよ。何を叶えていいか、さっぱりなの」
うつむいて悪魔の言葉を待った。しばらくの間、そこにあったのは沈黙だけ。だんだんと、それが恐ろしく思えてくる。なんだか呼吸がしにくいように感じて、どうにも胸が苦しかった。
そろそろ息も詰まりそうな頃、不意に頭に手が置かれたのを感じた。驚く暇もなく、置かれた手がそのまま私の頭を優しく丁寧に撫でる。それはわかったけれど、何が起きているのかはよく理解できなかった。正確に言えば、悪魔が何を思って、何のためにそんなことをするのか、私にはちっともわからなかった。撫でられる感覚は夢か何かのよう。
「それならそれでかまいませんよ」
悪魔は静かな声で言い、撫でるのをやめて手をどけた。そっとその顔を見上げてみると、やはり何を考えているのかよくわからない表情で、それでも優しげに、私のことを見つめていた。例の悪魔的な微笑み。なぜだか、泣きそうな気分になる。
それも見透かしているらしい悪魔は、さらにゆったりと柔らかな調子で続けた。まるで、幼い子供にでも話しかけているかのように。
「急に決めようとしても、何も浮かばないのは当然ですとも。じっくりお考えになった方がいいでしょうね。また・・・そうですねえ、一週間・・・二週間・・・その程度の時間をとりましょう。頃合いを見計らってもう一度お伺いしますよ」
そこまで言うと、悪魔は立ち上がり一人で頷いた。
「それまで、私はそばにいない方がいいでしょう。寂しいですが、きっとその方がいい」
尻尾がゆらりと揺れ、空気に溶け込むように薄れて消えていく。私はそれをぼんやりと見ていた。全部嘘みたい、なんて思いながら。
「それではまた、お嬢さん」
私にひらひらと手を振ると、悪魔はわざとらしい優雅さで歩き出した。足取りはなんとなく、ゆったりと踊るような調子。隅から隅まで、作り物みたいに気取った感じ。自分には余裕があると見せびらかしているような雰囲気。
楽しいのかしら、あの人。
私はしばらくベンチに座ったまま、何を見るでもなく目の前の景色をぼんやりと眺めていた。そういえば、その時の空は悪魔のお気に入りの憂鬱な空だったように思う。あの日の私には、まあ、お似合いだったかもしれない。
「そろそろ、私のことを少しは信用していただけましたかね?」
「少しは、ね」
そう返すと、悪魔は過剰なまでに喜んで私の手をとった。
「それはそれは!嬉しいです」
「そう」
いきなりの行動に思わず声が裏返る。決まりの悪い思いをしたけれど、悪魔はそんなことは気にしていない様子でそっと手を離して続けた。
「それで、私のすべきことについてのお話です。それが何かお教えくだされば、なんでも願いを叶えて差し上げましょう。回数に制限もなければ、代償も必要ありません。いくらでもお好きなようにお望みください」
意外とあったかい手をしてるのね、なんて変なことを考えながら、私は悪魔の言葉を繰り返した。
「好きなようにお望みください、っていっても、ねえ」
願い。
いくらでも思いつくように思えて、いい考えはちっとも出てこなかった。少し前まで願いを叶えるという話が気になってしょうがなかったのに、どうしてだか、考える気ももうあまり起きなかった。こんなにいい機会はないだろう、とは思うのだけど。
答えられない私を、悪魔は首を少し傾けてじっと見つめていた。表情はなんだか複雑で、私の答えを待っているような、いないような、私の心を探っているような、逆に私に何かを伝えようとしているような、何も考えてはいないような、私次第でどうとでも解釈ができそうな顔だった。それでもやはり口角は少し上がっていて、微笑ではあるのが余計に不思議な感じ。
「わからないわ」
本当に何も浮かばずに、私は小さく首を振ってみせた。それでも悪魔は動かずに私を見つめたまま。
「わからないのよ。何を叶えていいか、さっぱりなの」
うつむいて悪魔の言葉を待った。しばらくの間、そこにあったのは沈黙だけ。だんだんと、それが恐ろしく思えてくる。なんだか呼吸がしにくいように感じて、どうにも胸が苦しかった。
そろそろ息も詰まりそうな頃、不意に頭に手が置かれたのを感じた。驚く暇もなく、置かれた手がそのまま私の頭を優しく丁寧に撫でる。それはわかったけれど、何が起きているのかはよく理解できなかった。正確に言えば、悪魔が何を思って、何のためにそんなことをするのか、私にはちっともわからなかった。撫でられる感覚は夢か何かのよう。
「それならそれでかまいませんよ」
悪魔は静かな声で言い、撫でるのをやめて手をどけた。そっとその顔を見上げてみると、やはり何を考えているのかよくわからない表情で、それでも優しげに、私のことを見つめていた。例の悪魔的な微笑み。なぜだか、泣きそうな気分になる。
それも見透かしているらしい悪魔は、さらにゆったりと柔らかな調子で続けた。まるで、幼い子供にでも話しかけているかのように。
「急に決めようとしても、何も浮かばないのは当然ですとも。じっくりお考えになった方がいいでしょうね。また・・・そうですねえ、一週間・・・二週間・・・その程度の時間をとりましょう。頃合いを見計らってもう一度お伺いしますよ」
そこまで言うと、悪魔は立ち上がり一人で頷いた。
「それまで、私はそばにいない方がいいでしょう。寂しいですが、きっとその方がいい」
尻尾がゆらりと揺れ、空気に溶け込むように薄れて消えていく。私はそれをぼんやりと見ていた。全部嘘みたい、なんて思いながら。
「それではまた、お嬢さん」
私にひらひらと手を振ると、悪魔はわざとらしい優雅さで歩き出した。足取りはなんとなく、ゆったりと踊るような調子。隅から隅まで、作り物みたいに気取った感じ。自分には余裕があると見せびらかしているような雰囲気。
楽しいのかしら、あの人。
私はしばらくベンチに座ったまま、何を見るでもなく目の前の景色をぼんやりと眺めていた。そういえば、その時の空は悪魔のお気に入りの憂鬱な空だったように思う。あの日の私には、まあ、お似合いだったかもしれない。
更新日:2020-10-06 20:19:09