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小説

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葵、ノスタルジー

「あれ?沢村さん、どこかへ行くんですか?」
202号室の部屋を出て、鍵を掛けようとしている所を水端葵に見つかり呼び止められた。

「ああ、ちょっと銭湯でも行こうかと思ってな」
銭湯と聞いた葵の顔がパッと輝く。
「銭湯!丁ノ湯ですか!?」
「え?…ああ、そうだけど…」
「ちょ〜っとお待ち下さい!すぐ準備します!」
「え、お前も行くの?…まあいいけど」

何か知らんけど唐突に葵と銭湯に行く事になってしまった。
まあいいか、旅は道連れって言うからな。
葵が銭湯と聞いて瞳を輝かせるのは理解できる。

このボロアパート、各部屋に風呂があるにはあるのだが、何と言うか…
まず狭い。もう身動きできないレベルで狭い。
ほとんどサイヤ人が地球に来るときに乗っていたカプセルみたいだ。
おまけに温度調節が熱湯のつまみと水のつまみを上手く調節して適温のお湯をだすという職人的な技を要求されるものであり、不便な事この上ない。
慣れない人が使うとシャワーから熱湯を浴びて情けない悲鳴をあげるハメになる。

だから、たまには銭湯でも行って、大きな湯船で足と腕を目一杯広げたい衝動にどうしても駆られてしまう。

「お待たせしました〜」
葵は洗面セット一式を抱え、黒いTシャツとデニムのショートパンツにサンダル履きというラフなスタイルで201号室から出てきた。
「お前、金はあるのかよ?」
と俺が聞くと「はい、おやつ代を削ったお金がギリギリありますよ!」と自信満々に言い、大きく膨らんだ胸を張った。
…胸を張るほどの事でもあるまいに。


アパートのある狭い路地裏を抜けて少し広い通りに出る。
うらびれた街並み。
丁ノ湯はこの地区にある小さな銭湯だ。
小さいし民家が立ち並ぶ中に忽然とあるので、この地区の人でなければ存在さえ知らないだろう。
住民である俺たちでさえ、うっかりすると通り過ぎてしまいそうになる。

でも、よく見ると暖簾のかかった入り口と、小さく控えめな丁ノ湯という看板を見つける事ができる。
けれど、それより何台も違法駐輪してある自転車や、もう地区の定番である共産党や『貧困を無くそう』的なスローガンのポスターがやたらと貼り付けてある壁の方がむしろ目印になっている。
丁ノ湯はそんな他の地域からたまたま迷い込んだ人達が顔をしかめて逃げ出すような外観なのだけど、俺たちにとっては大切な憩いの場所だった。











更新日:2020-06-25 10:52:33