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ミニチュア

 ショーケースの中には、ミニチュアの地中海風の家が幾つも立ち並ぶ街並があった。狭い路地の間をトラムが走っている。
 少女がひとり、立ち並ぶ家々の一つの入口前にある石段に腰掛け、大きなバケットを両手に持ち齧りついていた。
 彼女は青い空を眺めているのだろう。しかし、その視線の先には私が居る。彼女には私が見えていないのだ。
 やがて、キャスケット帽を被った少年が彼女の元へ駆け寄ってくる。身の丈に合わない大きなトートバッグから新聞紙を取り出し、少女に手渡す。
 少女は新聞と引き替えに少年にバケットの端っこを千切って手渡す。
 毎度ありと手を軽く挙げて、少年はまたどこかへ駈けだしていく。
 少女は脇に置いていた紙袋に残りのバケットを入れ直して、新聞紙を広げた。さっと目を通すと、新聞を畳み、紙袋と一緒に抱えて、港へと続く坂を下っていく。
 彼女の目には海が見えている筈だが、彼女の座っていた家から五軒隣より先はガラスが隔たっている。
 彼女は坂を少し下った先の喫茶店へと入っていった。
 それと同時に、一つの建物の窓が勢いよく開く。
 中年の女性が、一家全員の洋服の洗濯物を窓の前に張ったロープにかけて吊していく。
 窓の前が万国旗のようにカラフルに彩られ終わり、女性が窓の中へと引っ込んでいくと、路地から先ほどの少年が現れる。帽子とカバンは身につけていない。
 少年が少女の居る喫茶店に入ると、間もなく二人は手を繋いで店を出る。
 二人は楽しそうに何かを話し合いながら、坂道を登っていく。
 その歩みに合わせたかのように、徐々にショーケースの中の建物は全体的に夕日に照らされ赤味を増していく。
 やがて、暗くなり、家の窓から灯りが漏れ出す。
 微かな灯りの中で、人影が一つ動いている。坂の上の方からスーツを身に纏った紳士が現れ、建物の一つに入っていく。
 カラフルな洋服が尚も吊されている窓には、二人の男女がキスをするシルエットが映る。それから、その窓は開き、少年とどこかへ姿を消した少女が洗濯物を取り込んでいく。
 その隣の窓も開き、一緒に居た少年もそれを手伝う。二人は笑顔で、同時に口を動かす。
 何かを歌っているようだ。
 残念ながら、私にはその歌声を耳にすることが出来ない。
「いかがでしょうか」
 と、行商人は私に言った。
「綺麗な街だねぇ。こんな、ところが世界にはあるのかい。できれば、こんな所に生まれたかったねぇ」
 私は、行商人が押してきた木製のリアカーに乗ったショーケースから目を離していった。
「ええ。しかし、この村も負けじと綺麗ですよ」
「畑仕事と狩りだけのこんな田舎でもかい」
「ええ。もちろんです。この中の少女も、この世界に来たいと申していましたから」
「そうなのかい。じゃあ、交渉は成立かねぇ」
「そのようですね」
 私は空を見上げる。
 空を覆うほどの大きな手が、空を包み込んでいたガラスケースを持ち上げて取り外し、私を掴むとひょいと軽やかに持ち上げた。

更新日:2020-02-09 08:23:22

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