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カマキリ
カマキリが小さな虫を捕まえて食べている。
私はそれをじっと見ている。
そんな夢。
アナウンスが終点に到着したことを告げている。
そう認識したときには、もう車掌が私の膝に抱えるかばんを軽く叩いていた。起きたのが先なのか起こされたのが先なのかわからない。
「終点です」
慣れた風に言う車掌に軽く頭を下げつつ、私は電車を降りた。ここはどこかしら。一瞬だけ別世界に迷い込んでしまった気になったけれど、なんてことはない、いつもは通り過ぎている、降りたことはないが見覚えのある駅だ。普段ここの一つ手前の駅で急行に乗り換えているのを、今日は寝過ごしてここまで来てしまったのだ。
ここにも急行電車は止まるから、目当ての電車はすぐに来る。いつもの電車に乗る駅がずれただけ。毎朝繰り返す退屈な時間はたぶん、このくらいじゃ変わらない。いっそもっと遠くまで乗り過ごせたら面白かったかな、と思う。学校に遅れるのは困るけど。
電車の中で見た夢を思い出す。
カマキリ。
緑色。大きな目。三角形の頭。鋭い鎌。
虫は好きじゃない。嫌な夢を見た、と思いながら、やってきた電車に乗るべくホームドアの近くに立つ。降りてきたのはセーラー服の三人組と、サラリーマン風の男性、暗い顔をした学ランの少年、最後に杖を突いた若い女性。少年と女性の脇をすり抜けて、私と反対側で待っていた人たちが乗り込んでいく。女性が降りた後で私も乗り込んだ。
つり革にも手すりにも掴まれずに、不安定なまま電車に揺られる。人が多いおかげで倒れはしないけれど、バランスを崩せば思い切り他人に寄りかかってしまうだろう。周りには当然のことながら知らない人がたくさん。
さっき見た三人組のセーラー服、あの制服はいつ見てもかわいいな、と考える。私もあんな制服が着たかったな、と。今私の着ている制服は地味なブレザーで、ちっとも気に入らない。あの子達の赤いリボンが羨ましい。でも、私にはきっと似合わないな、とも思う。
隣に立つ男性のひじがぶつかってくる。
学ランの子は何を考えていたんだろう、と思ってみる。成績のこと?将来のこと?恋の悩み?友達のこと?もっと深い悩みかもしれないな。他人の私にはわからない。だから無責任に想像してみたりする。
実は眠いだけかもしれない。
実は人に言えないようなことがあるのかもしれない。
実は、もう死にたいなんて思ってたりするかもしれない。
私には関係のないことだけど。彼が一人じゃないといいな、と思う。もっといいのは、悩みなんて本当は何もないってことかしら。
隣に立つ男性の腕がぶつかってくる。
杖の女性は怪我だろうか。それとも生まれつき?治るものか、一生のものなのか、どっちだろう。そんなことを勝手に考えるのも失礼だろうけれど、何か考えていなくちゃもたない。私には何か考えるものが必要なの。
杖がなくちゃいけないのってきっと大変だろうけど、私には何もできやしないわ。それにしても、彼女がまだ降りていないのに電車に乗り込むのはちょっとよくないんじゃないの?まあ、それも私には関係ないことなんだけど。
隣に立つ男性の手がぶつかってくる。
本当はぶつかっているのではなく、ぶつけている――というのも、正しい言い方ではないけれど――のを、私は知っている。
周りには知らない人がたくさん。
毎朝繰り返す退屈な時間。
学校に着いたのもいつもどおり、ホームルームが始まる十分ほど前。しゃべる人はいないから、この十分間は教科書を広げて、予習だか復習だかをしているようなふりをする。それだけだから、文章も挿絵も内容は全く頭に入ってこない。ぼんやりと、意味もないように見える文字の羅列を眺める。
けれど、今日は教科書を広げてすぐ、なんだかひどく眠たくなった。もういいや。教科書を机の中に放り込んで、机に突っ伏す。寝ぼけた頭はどうでもいいことを浮かべては奇妙にそれをつなぎ合わせる。
フルーツタルト。日本史の先生。あの先生は甘いもの嫌いそう。
パソコン室。やんちゃなネコ。キーボードに肉球の跡。
天使。運命の赤い糸。私はそんなもの信じない。
裁縫バサミ。電車内。あの大きめのハサミを取り出してやったらどうなるかしら。
いい考えだわ。明日からかばんに入れておこう。本当に腹が立ったら――どうしてやろうかしら。自分のことを刺したっていいわ、たぶん。
それにしても、あの車掌さんはいい人だった。私を起こすとき、かばんの方を触ったんだもの。
支離滅裂な思考の末、うつらうつら、いつの間にか眠りに落ちた私は短い夢を見た。
カマキリが小さな虫を捕まえて食べようとする。
私はそのカマキリを捕まえてばらばらにする。
そうしていつの間にか巨大なカマキリになっていた私は、小さく哀れなカマキリを食べ始める。
そんな夢。
私はそれをじっと見ている。
そんな夢。
アナウンスが終点に到着したことを告げている。
そう認識したときには、もう車掌が私の膝に抱えるかばんを軽く叩いていた。起きたのが先なのか起こされたのが先なのかわからない。
「終点です」
慣れた風に言う車掌に軽く頭を下げつつ、私は電車を降りた。ここはどこかしら。一瞬だけ別世界に迷い込んでしまった気になったけれど、なんてことはない、いつもは通り過ぎている、降りたことはないが見覚えのある駅だ。普段ここの一つ手前の駅で急行に乗り換えているのを、今日は寝過ごしてここまで来てしまったのだ。
ここにも急行電車は止まるから、目当ての電車はすぐに来る。いつもの電車に乗る駅がずれただけ。毎朝繰り返す退屈な時間はたぶん、このくらいじゃ変わらない。いっそもっと遠くまで乗り過ごせたら面白かったかな、と思う。学校に遅れるのは困るけど。
電車の中で見た夢を思い出す。
カマキリ。
緑色。大きな目。三角形の頭。鋭い鎌。
虫は好きじゃない。嫌な夢を見た、と思いながら、やってきた電車に乗るべくホームドアの近くに立つ。降りてきたのはセーラー服の三人組と、サラリーマン風の男性、暗い顔をした学ランの少年、最後に杖を突いた若い女性。少年と女性の脇をすり抜けて、私と反対側で待っていた人たちが乗り込んでいく。女性が降りた後で私も乗り込んだ。
つり革にも手すりにも掴まれずに、不安定なまま電車に揺られる。人が多いおかげで倒れはしないけれど、バランスを崩せば思い切り他人に寄りかかってしまうだろう。周りには当然のことながら知らない人がたくさん。
さっき見た三人組のセーラー服、あの制服はいつ見てもかわいいな、と考える。私もあんな制服が着たかったな、と。今私の着ている制服は地味なブレザーで、ちっとも気に入らない。あの子達の赤いリボンが羨ましい。でも、私にはきっと似合わないな、とも思う。
隣に立つ男性のひじがぶつかってくる。
学ランの子は何を考えていたんだろう、と思ってみる。成績のこと?将来のこと?恋の悩み?友達のこと?もっと深い悩みかもしれないな。他人の私にはわからない。だから無責任に想像してみたりする。
実は眠いだけかもしれない。
実は人に言えないようなことがあるのかもしれない。
実は、もう死にたいなんて思ってたりするかもしれない。
私には関係のないことだけど。彼が一人じゃないといいな、と思う。もっといいのは、悩みなんて本当は何もないってことかしら。
隣に立つ男性の腕がぶつかってくる。
杖の女性は怪我だろうか。それとも生まれつき?治るものか、一生のものなのか、どっちだろう。そんなことを勝手に考えるのも失礼だろうけれど、何か考えていなくちゃもたない。私には何か考えるものが必要なの。
杖がなくちゃいけないのってきっと大変だろうけど、私には何もできやしないわ。それにしても、彼女がまだ降りていないのに電車に乗り込むのはちょっとよくないんじゃないの?まあ、それも私には関係ないことなんだけど。
隣に立つ男性の手がぶつかってくる。
本当はぶつかっているのではなく、ぶつけている――というのも、正しい言い方ではないけれど――のを、私は知っている。
周りには知らない人がたくさん。
毎朝繰り返す退屈な時間。
学校に着いたのもいつもどおり、ホームルームが始まる十分ほど前。しゃべる人はいないから、この十分間は教科書を広げて、予習だか復習だかをしているようなふりをする。それだけだから、文章も挿絵も内容は全く頭に入ってこない。ぼんやりと、意味もないように見える文字の羅列を眺める。
けれど、今日は教科書を広げてすぐ、なんだかひどく眠たくなった。もういいや。教科書を机の中に放り込んで、机に突っ伏す。寝ぼけた頭はどうでもいいことを浮かべては奇妙にそれをつなぎ合わせる。
フルーツタルト。日本史の先生。あの先生は甘いもの嫌いそう。
パソコン室。やんちゃなネコ。キーボードに肉球の跡。
天使。運命の赤い糸。私はそんなもの信じない。
裁縫バサミ。電車内。あの大きめのハサミを取り出してやったらどうなるかしら。
いい考えだわ。明日からかばんに入れておこう。本当に腹が立ったら――どうしてやろうかしら。自分のことを刺したっていいわ、たぶん。
それにしても、あの車掌さんはいい人だった。私を起こすとき、かばんの方を触ったんだもの。
支離滅裂な思考の末、うつらうつら、いつの間にか眠りに落ちた私は短い夢を見た。
カマキリが小さな虫を捕まえて食べようとする。
私はそのカマキリを捕まえてばらばらにする。
そうしていつの間にか巨大なカマキリになっていた私は、小さく哀れなカマキリを食べ始める。
そんな夢。
更新日:2019-11-13 16:55:53