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沼地の白
足元がしゅうしゅう音を立てる。白い煙が上がる。僕の偽物の足が蝕まれていく。
大きな戦いがあった、としか思い出せない。僕は頭も半分吹き飛ばされたから、ろくに記憶が残っていないのだ。まだ戦う人数が足りないから、頭の半分と左上半身と、あと少ししか残っていなかった僕も、偽物になって蘇って、また戦った。その間のことなんて覚えていない。毎日言われた通りに武器を使う、それだけだったから。
戦いが終わった頃には、僕らのほとんどは体の全部を偽物にされていた。本物には戻れない。でも、誰も彼も偽物になったから問題はなかった。むしろ、中途半端に本物が残っている僕みたいな人間の方が辛い。なんだか裏切り者みたいに言われる。
もうすることがない。半端な本物はどこへ行っても冷たくされる。だから偽物の人間たちがいないところに行きたかった。そうしてここへたどり着いた。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の足は偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物でも痛むような気がしたけど、そんな感覚も偽物だ。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
どうせただのガラクタ。
この沼地には偽物を壊すために酸が撒き散らされて、すっかり何もいなくなったらしい。そのときそこにいた偽物たちもしゅうしゅう悲鳴をあげただろう。少しくらいいたはずの本物はどんな悲鳴をあげたかな。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
使い物にならなくなった足が崩れる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の腹が偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の腕が偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の顔が偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
本物の体まで蝕まれて。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
ふと、足音を聞いて視線をそっちへやった。偽物とも本物ともつかない足が、奇妙な靴とともに向かってくる。どうやら靴はこの沼地でも平気らしく、どうなることもなくだんだんと近くなる。
誰?
何?
「もうすっかりじゃないか。頭の半分しか使い物にならない」
これまた奇妙な手袋をはめた手が、僕の本物の頭を拾い上げる。そして相手の顔の前に持っていかれ、そっちは奇妙でもなんでもないことがわかった。ただ、片目に奇妙な装置をつけている。
「本物だねぇ」
相手はしみじみと言い、大きな肩掛け鞄に僕を放り込む。仲は暗くて何も見えないけれど、生臭い。そして懐かしいような匂いもした。たぶん――まだ全部本物だった頃に好きだった匂いだ。でもそれが何かは思い出せない。そもそも、そのときのことは何一つ記憶にない。
僕を拾い上げた奇妙な人間は、何やら歌いながら歩いているらしかったが、ふと立ち止まると鞄を開いた。
「お前はどこの人間だい」
「忘れた」
「だろうね」
それだけの会話が終わるとまた鞄を閉じて、歌いながら歩く。声も顔も男の子だか女の子だかわからない。ただ、ずいぶんと若いんだろうとは思えた。下手をするとまだ戦わずに売り物にされるくらいかもしれない。
大人になりきらない男女はよく売れる。そして大人にさせてもらえないまま貪られて死んでいくのを何度も見た。ちょうどあのくらいの歳じゃないだろうか。
やがてガタガタ音がしたと思うと、僕は鞄ごと放られたらしかった。固い感触が残った体全体を打ち付ける。くらくらしているうちに、やけに明るい中に引っ張り出された。眩しくて周りがよくわからない。
「さあおいで。君も一部にしてあげる」
大事なお人形か何かのように僕を胸に抱き、奇妙な人間は急ぎ足でどこかへ向かう。ここはそれなりに広い、研究所か何からしい。過剰に明るい照明とどこまでも真っ白な壁のおかげで目が痛い。
たぶん床も天井も真っ白なんだろうな、と直感した。建物全体にそんな風な、執拗なまでの何かを感じる。照明の明るさと壁の白さから連想できる何かに執着しているような。
ある部屋に入ると、奇妙な人間は僕を棚のようなところに置いた。この部屋も真っ白い。予想した通り天井も床も真っ白い。置いてあるもの全てが真っ白い。
「ここはどこ?」
聞いてみると、相手はきょとんとした顔になる。返事は何もない。
「君は誰?」
それにも返ってくる言葉はない。不思議そうな顔だけがある。
「何をするの?」
そう聞くと、今度は誇らしげな声が返ってきた。
「目を作るんだ。君もその一部になれる」
言いながら、片目につけた装置を指でつついてみせる。なんだか妙に無邪気な顔をしていた。
そんな様子を眺めていると、相手が突然呟いた。
「まだ16だったんだ」
僕のことをじっと見つめながら続ける。
「君はちょうどいいな」
そして、なんのことか聞く気も起きないほど屈託なく笑った。まるで天使か何かのように。
大きな戦いがあった、としか思い出せない。僕は頭も半分吹き飛ばされたから、ろくに記憶が残っていないのだ。まだ戦う人数が足りないから、頭の半分と左上半身と、あと少ししか残っていなかった僕も、偽物になって蘇って、また戦った。その間のことなんて覚えていない。毎日言われた通りに武器を使う、それだけだったから。
戦いが終わった頃には、僕らのほとんどは体の全部を偽物にされていた。本物には戻れない。でも、誰も彼も偽物になったから問題はなかった。むしろ、中途半端に本物が残っている僕みたいな人間の方が辛い。なんだか裏切り者みたいに言われる。
もうすることがない。半端な本物はどこへ行っても冷たくされる。だから偽物の人間たちがいないところに行きたかった。そうしてここへたどり着いた。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の足は偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物でも痛むような気がしたけど、そんな感覚も偽物だ。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
どうせただのガラクタ。
この沼地には偽物を壊すために酸が撒き散らされて、すっかり何もいなくなったらしい。そのときそこにいた偽物たちもしゅうしゅう悲鳴をあげただろう。少しくらいいたはずの本物はどんな悲鳴をあげたかな。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
使い物にならなくなった足が崩れる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の腹が偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の腕が偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
偽物の顔が偽物の悲鳴をあげる。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
本物の体まで蝕まれて。
しゅうしゅう。
しゅうしゅう。
ふと、足音を聞いて視線をそっちへやった。偽物とも本物ともつかない足が、奇妙な靴とともに向かってくる。どうやら靴はこの沼地でも平気らしく、どうなることもなくだんだんと近くなる。
誰?
何?
「もうすっかりじゃないか。頭の半分しか使い物にならない」
これまた奇妙な手袋をはめた手が、僕の本物の頭を拾い上げる。そして相手の顔の前に持っていかれ、そっちは奇妙でもなんでもないことがわかった。ただ、片目に奇妙な装置をつけている。
「本物だねぇ」
相手はしみじみと言い、大きな肩掛け鞄に僕を放り込む。仲は暗くて何も見えないけれど、生臭い。そして懐かしいような匂いもした。たぶん――まだ全部本物だった頃に好きだった匂いだ。でもそれが何かは思い出せない。そもそも、そのときのことは何一つ記憶にない。
僕を拾い上げた奇妙な人間は、何やら歌いながら歩いているらしかったが、ふと立ち止まると鞄を開いた。
「お前はどこの人間だい」
「忘れた」
「だろうね」
それだけの会話が終わるとまた鞄を閉じて、歌いながら歩く。声も顔も男の子だか女の子だかわからない。ただ、ずいぶんと若いんだろうとは思えた。下手をするとまだ戦わずに売り物にされるくらいかもしれない。
大人になりきらない男女はよく売れる。そして大人にさせてもらえないまま貪られて死んでいくのを何度も見た。ちょうどあのくらいの歳じゃないだろうか。
やがてガタガタ音がしたと思うと、僕は鞄ごと放られたらしかった。固い感触が残った体全体を打ち付ける。くらくらしているうちに、やけに明るい中に引っ張り出された。眩しくて周りがよくわからない。
「さあおいで。君も一部にしてあげる」
大事なお人形か何かのように僕を胸に抱き、奇妙な人間は急ぎ足でどこかへ向かう。ここはそれなりに広い、研究所か何からしい。過剰に明るい照明とどこまでも真っ白な壁のおかげで目が痛い。
たぶん床も天井も真っ白なんだろうな、と直感した。建物全体にそんな風な、執拗なまでの何かを感じる。照明の明るさと壁の白さから連想できる何かに執着しているような。
ある部屋に入ると、奇妙な人間は僕を棚のようなところに置いた。この部屋も真っ白い。予想した通り天井も床も真っ白い。置いてあるもの全てが真っ白い。
「ここはどこ?」
聞いてみると、相手はきょとんとした顔になる。返事は何もない。
「君は誰?」
それにも返ってくる言葉はない。不思議そうな顔だけがある。
「何をするの?」
そう聞くと、今度は誇らしげな声が返ってきた。
「目を作るんだ。君もその一部になれる」
言いながら、片目につけた装置を指でつついてみせる。なんだか妙に無邪気な顔をしていた。
そんな様子を眺めていると、相手が突然呟いた。
「まだ16だったんだ」
僕のことをじっと見つめながら続ける。
「君はちょうどいいな」
そして、なんのことか聞く気も起きないほど屈託なく笑った。まるで天使か何かのように。
更新日:2019-11-01 20:07:34